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フラワーウォールと米津玄師の初恋
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三つ子の魂百までという言葉がある。これを「宿命」と取るか?「運命」ととるか?
前世があるのかはさて置いておいて、心が躍るような「思い」を感じた時、私たちはそれを「運命」と呼ぶのだ。
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そして「運命の出逢い」とは、大抵男女の出逢いを言う。
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恋愛の定義は、ただただ1つになりたいという「本能」である。ところが、それを阻む「何か」がある。
それを米津玄師は、「flowerwall」と名付けた。
新しいアルバム「Bremen」が、オリコンウィークリーランキングとiTunes週間ランキング両方で1位でした。素直に嬉しいです。みんなありがとうね。 pic.twitter.com/vRGMCiGvyw
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) October 13, 2015
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2015年10月にリリースされた「Bremen」と言う米津のアルバムは、他のどのアルバムよりも、「ロマンチック」である。
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「淋しさ」とは、何かに認められないことではなく、「異性に巡り合えない」切なさを言う。「異性」とは何か?
「性」は「生」であり、また「精」である。男の方が力強いことをどうとるか?
米津の楽曲「flowerwall」は、「純粋」がまかり通る「優しさ」、そしてそれは「優しさ」に通じる「不滅の何か」を表す「恋愛」である。
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前回書いた「メランコリーキッチン」が、「家族」なら、その前にある「恋愛」としての「性」こそが、私たちの「淋しさ」の正体である。
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フラワーウォール
目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか何かから守るためなのか
わからずに立ち竦んでる
「flowerwall」とは、直訳すれば「花の壁」となる。ここで少し面白いのが、米津の歌詞考察のごとく、言葉を入れ替えて見ると「壁の花」となる。
「花の壁」が美しい色とりどりの花で出来た「壁」を想像させるが、その逆の「壁の花」は、誘われることない女性、すなわち「孤独感」を感じさせる。
あの日君に出会えたその時から
透明の血が僕ら二人に通い
悲しみも優しさも
希望もまた絶望も
分け合えるようになった
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楽曲「flowerwall」のMVの米津から感じるのは、まず「あどけなさ」である。すなわち愛らしい「何か」は、昨今忘れ去られた「愛」という名の「ゆううつ」、すなわち「心の中」を行ったり来たりする、「私」を超えた「もどかしさ」という、変化を伴う「恋」と言う名のすべてを許す「盲目」なのだ。
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ここで「恋」とは何なのかを、検証したいと思う。まずは、終着駅が「結婚」だとしたら、上記に書いた「変化を伴う」の1つに、「恋愛」が変化すると「結婚」になるということがある。
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敷かれた路線に違和感を感じない。それは「システム」としての「結婚」なのだが、これを「情」すなわち「愛」だと勘違いする。
米津の作るMVは、彼が選んでいるものであろう。
ここで少し、米津の考えたMVの世界観を見てみたい。
このあまりに広い世界で僕たちは
意味もなく同じ場所に立っていたのに
僕の欠けたところと君の欠けたところを
何故かお互いに持っていた
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炎には煙が付き纏う。空中で弾ける煙は花火のようだ。それは米津を包み込むように彼に「色」を付けていく。
叶わない思いを「片思い」と言うのだが、米津の恋愛は今まで「片思い」と「両思い」、どちらが多かったのだろうか?
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「花」は、女性を表す。楽曲「flowerwall」での米津は、その歌詞のように非常に「一途」であり、先ほど「花火のようだ」と言った「煙」は、彼の好きな人への「橋」、すなわち「虹」を表しているようだ。
「誓い」こそが、「壁」になる。「真理」は寄り添ってはくれない。それはいつでも「裁き」としてそこにあるのだ。ならば、米津の言う「flowerwall」とは、「優しさ」ではなく「アーチ状」の「壁」として、2人を迎え入れるだろう。
「おめでとう」と「おめでたい」の違いがわかるだろうか?
フラワーウォール 目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか何かから守るためなのか
わからずに立ち竦んでる
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「恋」が「結婚」に変化する時、それは今では最高の「甘美」な時であろう。先ほど「フラワーウォール」を、「アーチ状の壁」と記した。
2人で手を繋いでそこを通過する時の一瞬こそが、「結婚」なのだと言ったら言い過ぎだろうか?
そして通過した途端、「恋」の2回目の変化である「生活」になる。「お見合い」は、最初から生活を見せてくる。すなわちどれほどの「ステータス」がこの人にあるのか。
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さてここで、勘のいい方はお気づきだろうが、「恋」と似た字に「変」という字がある。「恋」とは「心が変化すること」である。
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誰も知らない見たことのないものならば今
僕らで名前をつけよう
ここが地獄か天国か決めるのはそう
2人が選んだ道次第
アーチ状の壁は、煙で出来ている。これは米津の歌詞の作り方考察から見て見ると、「煙」のもう1つの呼び方は「えん」であり「縁」になろう。
では「縁」があるから「出逢う」のか?「出逢ったこと」が「縁」になったのか?
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前回の記事で「友情」とは、何かを媒体として起きてくるものだと書いた。友情とは現れては消える、消えては復活する「光」だ。だとするならば愛情とは何か?
この人こそ「運命の人だ」と天にも昇るような気持ちになって結婚した後も、あなたはその「運」に従っていられるだろうか?
「運」とは「さだめ」のことであり、「定め」つまりあなたが決めたことなのだ。
それでも嬉しいのさ 君と道に迷えることが
たくさんを分け合えるのが
フラワーウォール
僕らは今2人で生きていくことを
やめられず笑い合うんだ
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楽曲「Flowerwall」のMVの始まりの「青い花」は、米津に摘み取られた途端溶けてしまう。「欠けたところ」とは、好きな人の一部ではなくすべてなのだ。それを大事そうに左肩になすりつける、その「青」は、「好きな人の象徴」ではなかろうか?
共にくぐった「アーチ」の先にあるものが何であろうと、2人で受け止める、笑って見せるその「覚悟」こそ、その頃はまだ上り坂だった米津玄師の命運を賭けた「愛」なのだ。
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた
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ここでの「運命」とは、何か大いなる力であり、米津の本質とは、米津のやりたいことに他ならない。
手をつないでいたのは、寂しさや不安ではなく、その先も一緒だと知っていたから。歌詞とは少し変わってしまうが、その当時の思いではなく、米津自身の今の思いをそう表現して、今回の「運命とは何か?」の記事を終わりにしたい。
記事を読んで感じた何かは、あなただけのものである。
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