戸田真琴さんのこと

ミスiDを知ってしばらくしてから、誰かのリツイートで縷縷夢兎の衣装を着ためちゃめちゃ可愛い子が現れた。

可愛いくて、少し所在ない雰囲気があって、それも全部まとめてわかってます、ってキラキラした瞳が訴えてるみたいだった。

こんな子いたんだ、と急いでプロフィールに飛ぶと、「どすけべ小動物」ってプロフィールに書いてあった。これがわたしのまこりんさんとの出会い。まこりんさんの本業はAV女優。

まこりんの表してくれるもの、全てが好きなんだけど、好きになったきっかけは文章だった。


連載を読んで、涙が止まんなくなった。連載記事の半分その日に読んで、残りは次の日にとっておいて、読んで、また泣いた。


最近、SNSで死なないで、と呼びかけた記事に大きい反響があった。

ヒッチハイクでのアメリカ横断に挑戦した中学生の話をきっかけに、SNSで特別な存在になることの意義、それだけにとらわれることの怖さや、普通の生活を送ることへの肯定をしてくれていた。


誰もやっていない奇抜なことをして、みんなに夢や勇気を与えたい、(件の中学生ヒッチハイクの少年を参照)という主張は、まるで私には意味不明に聞こえる。誰もがやっている平凡なことをすることは、だれかの為にはならないのだろうか?毎日のルーティーンの中には希望は見つけられない?大げさなことでしか感情を震わせる事ができないの?そういう、特別なことをした人がえらい、みたいな考え方は本当に納得ができない、と何度でも思う。


(引用しきれてないですが、中学生の彼を批判しているわけでなく"そもそも『裁かれる』以前の段階にいる存在"としてます。)

まこりんは時々、自分をきれいに見せない。LINEではあえて可愛く撮れなかった写真をあげてくれたりするし(それでも可愛いんだけど)、公共料金の支払いとかを自分でちゃんとできるようにしていたいと言ったり、とにかく「あなたと同じ、わたしもカッコつかないんだ」といつも伝えてくれている。それが温かくて、わたしはいつも泣きそうになる。

わたしがまこりんを好きな理由は、自分の毎日の地道な生活をとことん意識していて、それも美しくて素敵なものであると信じて、その生活の先に追いかけてた夢があることを最初から自然に知っているところだと思う。

だから夢みたいな希望や愛を語っていても、ちゃんと糸を辿れば生活に繋がっている。絵空事や綺麗事じゃなく本当にそう信じている。

まこりんとまこりんの言葉を知った時、わたしの世界まで少しキラキラした気がした。こんな人が、毎日同じ世界で暮らしていて、姿を見せてくれていること、それだけでちょっと胸があつくなって幸せになれる。

更に素敵だなと思うのが、まこりんは1対大勢のコミュニケーションをとっていないところだ。形式ではそうでも、絶対的に確実に、1対1の熱量で全員と向き合ってくれている。だから、「自分は何もできてない、何も価値がない」ってジタバタしそうな本当に一人の時、一言ずつ大切に言葉を読んで、心の重心を下げて軌道修正する。

最後にAV女優というおしごとについて。

生きているとなんでみんな知らん振りして生活しているの?と感じることがたくさんある。

小学生の時はクリスマスにサンタさんが来ることを大人達が不思議がっていないことを不思議に思っていた。家に勝手に入られているのに、こんな不思議なことなのにと。

サンタさんはいなかったけど、似たような気持ちになることは他にもある。

一番大きいのは人が死んだらどうなるかわからないのに、なんで平然と生きていられるの?と家族が死んだ時おもったこと。

人が生きていること、生身の人間が生活することは不思議でいっぱい。

戸田真琴さんはそんな生活の影、裏面を肯定して照らしてくれる存在だ。

わたしたちは、ふだん、恋愛の生々しい部分は口にしない。そういうものに蓋をして平然としていることも、昔から不思議なことの1つだった。

そういう生活の影は、時々わたしたちを惨めな気持ちにさせる。

家族が亡くなって葬儀がおわって帰った日、家にろくにご飯がなくて、いつもヘラヘラしてる父が「たいしたもん食わせられなくて、悪いね」と心底申し訳なさそうに言った。ああいう惨めなごはんが、わたしは一番悲しい。

辛いことがあってもお腹が空くし、どんなに病んでても深夜になればたいてい眠ってしまって、家族が死にかけていてもわたしは彼氏とデートしていた。

そういうことへの情けなさとか、罪悪感を肯定し、それが生活なんだと包みこむこと、人間らしさを愛しく大事にすること、そういうことがしたくて、戸田真琴さんはAV女優という仕事を選んだんじゃないかと思う。

ほんとうのことは1ミリもわからないのだけど。わたしの想像は全く的外れかもしれないし、当たっていても、その何千キロも先の答えを彼女はもう見つけてしまってるんだとおもう。

それでいいとおもう。ずっと理解しようとしながらできないでいたい。

器用な人って自分の感じる違和感を上手く飲み込んで、平らにして、生きてゆける人だと思う。(ただこれも本当は幻想で、どんなに人の心を持ってない!って思うような器用で機械的で冷たい感じの人でもコンプレックスのない人なんていないんだとおもう。)

そういう意味でミスiDに出る人、応援する人、審査する人、みんな違和感を克服できずにいる素敵な人たちだと思う。

戸田真琴さんのミスiDのカメラテストの動画の瞳の真っ直ぐさを見て、見て見ぬふりはできないと思った。違和感や不器用さをなかったことにしない、受け止めながら一緒に生きていくこと、そういうことができる人の一員に、わたしもなりたい、ならないと、と思った。


わたしにとってアイドルは、戸田真琴さんです。




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