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みんなが勇者を目指す必要はない

今日は、大学院の授業から感じたことを言葉にしてみます。

私の関心は、人材育成、人材活用、組織開発といった言葉で表現されているもの、平たくいえば、組織の中ですべての人に活躍してもらうためにはどうしたらいいか、ということです。

では、活躍とはなにか。どのような状態になったら活躍したといえるのか。
私は、その人が得意なことで力を発揮し、組織に貢献できていると本人が実感でき、組織の成果も上がることが、活躍の理想だと思っています。

ところで、先日受けた授業の中で、従業員がクリエイティブな力を発揮する方法についてディスカッションした後に、「すべての人がクリエイティブである必要はない」という話がありました。なるほど。よく考えたら当然なのですが、ほっとしたような気持ちになりました。そこを目指さなくても(目指せなくても)いいんだ…。

その話を聞きながら思い出していたのが、「夢組」と「叶え組」という捉え方。以前テレビで見たときに感動して、それからずっと大切にしている見方です。
検索してみたら、noteでも書いていらっしゃいました!

夢中になる能力がある「やりたいことがある人」を「夢組」だとしたら、やりたいことがない人は「叶え組」だ

このふたつはチームになるといいと思う。仕事でも夫婦でも、「夢組」と「叶え組」はお互いに力になれるし、自分にはない能力を持っている相手を大事にできる。

自分が「夢組」なのか「叶え組」なのかわかっていれば、無理して自分とはちがう何者かになろうとしなくてすむ

(上記noteより一部引用)


キラキラしたものと出会うと、それに当てはまらない自分はダメなんじゃないかという気持ちが出てきて、不安になったり劣等感が出てきたりすることがあります。
でも、全員がキラキラしている必要はないんですよね。キラキラしている人を支えたり助けたり応援したり、それだって十分素晴らしい役割だし、そういう人がいてくれるからこそ、きっとキラキラし続けることができる。

ん、いや、ちょっと違うな。それを支えたり助けたり応援したりしている人も十分キラキラしている。それが見えない人がいるだけで。


そんな時に連想したのが、勇者とその仲間たち(笑)。
私はゲームが好きなので、ドラクエとかよくやりました。最後に魔王を倒しにいきますが、その時のパーティーが4人とも勇者だったらたぶん魔王に勝てません💦(え、意外と勝てるのかな!?皆さんどう思います!?)
私の好きなパーティーは、勇者、パラディン、踊り子、賢者でしたが(←どうでもいいw)、それぞれ得意不得意があって、不得意なところを互いに補いながら、得意なところを最大限発揮できるようにして、やっと魔王を倒すことができます。それでいいし、それがいいんですよね。

だけど、普段の生活の中では、勇者が一番偉い、みんな勇者を目指せ、という無言の圧力を感じているような気がして、時々息苦しくなります。


良い悪いではない、上か下かではない、ただ違うだけ。そのことをもっと大切にできる世の中であってほしいと思います。

仮に、良い悪いという観点があるのだとしたら、それは、自分の個性に対してどれだけ自覚的であるか、他人のことをどれだけ知ろうとするか。その姿勢の方がよっぽど大切なことのように私には思えます。


私は人の素敵なところを見つけるのが割と得意で(←自己評価です💦)、それをなるべく伝えるようにしているのですが、なぜそうしたいのかって、ここなのかもしれません。

「あなたは魔法使いとしての才能がすごくあって、それは他人にはなかなかできない、素敵な力だと思う。体力は少ないかもしれないけどそれは誰かに助けてもらって、あなたはたくさんの魔法が使えるようにどんどん磨いていっていったら、それはとっても素敵なことだと私は思う」

そんな風に素敵なところをたくさん伝えていきたいのだと思います。


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