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夜中のツラツラと

ちょっとした何かがきっかけになるのだから、
面白いし、すごいなぁと思った。

私が、その事柄について、
上手くいっていない、
または、
感情が揺さぶられる。

そんな時、
きっとこれが原因だ。
あの人が原因だ。

と思って、私は早速、自分が思いつく原因を
のぞいた世界にしてみる人なようです。

自分が「原因」と思って、それがない現実に
自分がいても、
その感情が湧いてきたり、
そんな自分になって初めて、

あぁ、私の気持ちから湧いてくる感情だったのか
その側が原因 と思って、
自分が内側から持っていた感情ではないふり

をしていただけで、
まさか、自分自身の抱えていた感情からこみ上げてくる
きもちだったとは。。。と

知ってしまった時は、
勝手に原因にしてしまった事柄、人に
申し訳なかったな、と思いましたが、

実行してみて、自分で実感しなければ
私は本当にきずかず、
むしろ、ずっとぞの人達を責めて過ごしていたように
思います。

子供との過ごす時間でさえも、
人のせいにしていたことが分かった時は
本当に愕然としたものです。

ずっと私は、この気持ちを抱えたままだったら
どうしよう、と思ったことも、ありましたが、

今では本当に、こんな現実に存在することが出来るのか、、、
と嬉しく、しあわせに思う事が
とても多くなりました。

それは、人から見たら、もう手にしている
「そんな事」なような気もしますが、

私には、小さい頃から描いていた現実とは
まったく想定外な、人生、成り行き、仕合わせの連続です。

毎日、ママ大好きだよと言ってもらえる生活

を想像していませんでした。
自分自身、大好き という言葉を親にかけてことが
ありませんでした。

こんなに嬉しいものなのかと、
今になって、頑張って感謝の言葉を言うようになりました。
頑張っていっているところが、

自分のプライドなのか、恥ずかしさなのか、
子供よりも未熟に思えます。

寝付かせは大変  と思っていた自分がいました。

子供が寝るまで、たえる とか、
自分の時間がとれない と思っていました。
子供はいつの間にか、大きく大きくなっていました。

お互い、この時間が大切なような気がして
毎回、自然と過ごせるようになってきて
好きな本をお互いもって布団の中で
読書をしてから、寝るのが、
なんだか、とても心地が良いです。

時々お相撲もとります。
父親と一緒に暮らしていないので、
なぜか、相撲は男の子はしたいのかな?と
私は思って、取り組んでいました。
小3に息子がなったら、勝つのが難しくなってきました。

下の子は反抗期になっているのか、
お兄さんに反抗的です。
お兄さんは優しいので、私よりも気を許し甘えていることが
とてもよく伝わってきます。
私は、その分少し、楽なような、
長男には勝てないような気持ちになります。

そして何より、子供達の中が好い事。
私も、昔昔は、きっとこんな風に
無邪気に妹と仲が
きっと良かったんだ、と
なんだかフト思う瞬間がります。

きっとそうだと思います。

今回、少し、少しの
行動ややってみたい事、会ってみたい人
への行動を素直に行い、続けたことは、
私を、また、想像できなかった
想像よりも、とても仕合わせな流れに導いてくれました。

それは、今行っている、仕事

自分の仕事なんだ、と
きちんと実感できる。とか。

(今までは、どこか、仕事として成り立って行っちゃってる、
とか、この今までの自分の朝~夕方まで、びっちり仕事が常識。
の生活とは真逆すぎて、遊んでいるのではないか、怠けているのではないか、と不安がこみ上げてくるものがあったからです。)

朝ごはんが、なんとなく、作れている、とか、
夕ご飯を準備できたり、
出来ないときは、定食屋に行くとか、
の自分をゆるく設定できるようになった とか、
そういった、一見普通では?
と思う部分が、
「しなきゃ」「しなきゃ」の枠を外れる瞬間を迎え
ホッとできる場所。心の場所が出来たことが大きいです。
あわせる事、寄り添う事が
普通 とどこか思っていた私なので

自分の意見を平然と強気で押し通す人を
どんな風に子供時代をすごしたら、そうなれるのだろう
とうらやましく思う事もありました。

が、
うらやましくないな、と思う事も同時に
ある不安定さのある、この
へんな、
いいなぁ

可もなく不可もなく、自分の感情として
今は抱っこしておくことにしました。


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