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初めて借りた、あの部屋

木造2階建て、築数十年(?)、トイレ・お風呂・キッチン・洗面所・洗濯機共同。
ボロで家賃は月二万千円。
こんな部屋に住むのかぁ。
もうちょっと、キレイなとこがいいなぁ。

でも、次に見に行った部屋はもっとひどかった。
壁に穴が開いていて、部屋の柱には落書きがあったり、壁にすき間が開いていたり。
それなのに家賃は月3万円。

「…さっきの下宿にします」
そういって決めたあの下宿。
ボロボロで、今のおしゃれな女子大生ならきっと敬遠するだろう。
でも、そこが私の初めての一人暮らしを始める住まいになった。

私が入居した時には十五部屋すべてが満室で、一回生から四回生まで女子大生が仲良く生活していた。
それぞれの田舎の方言丸出しで、誰かの部屋で夜中までおしゃべり。
キッチンに行けば誰かがいて、「今日何作るの?」と言いながら互いに楽しくご飯を作る。
「次、お風呂空いたよ~」
お風呂は朝、自分の名前の札をボードに掛けて順番を取っておき、自分が出たら次の人に声をかける。
玄関ホールで新聞を広げて読んでいると、誰かが帰ってくる。
「お帰り~」「ただいま~、外めっちゃ寒いよ」
誰かが出かける。
「これからバイト?いってらっしゃい!」「うん、いってきまーす」
朝、隣でいつまでも目覚まし時計が鳴っているのが丸聞こえ。
「お~い!いい加減起きないと遅刻するよ!」と声をかけてドアをたたく。

そんな楽しい毎日。
その一方で…。

部屋で勉強していると、天井裏で「コトコトコトコト…」と右から左に小さな何かが移動していく足音。
まさか…もしかして…ネズミ?
傘の先で天井をつついてみると、音が鳴りやんだ。
でもしばらくするとまた、「コトコトコトコト…」
ある暑い夏の日、大の字になって畳の上で昼寝していた。
起き上ってみると、さっきまで寝ていた畳の上に、なんと…ヤモリの赤ちゃんが…。
ウソ…。死んでる?つぶした?

ボロボロ下宿なので、こんなエピソードもたまには起こった。
でも、安くて楽しい下宿が好きだった。

毎月会計係を決めて、それぞれの部屋の電気代を集計する。
集金して、銀行に入金しに行く。
ゴミ当番を決め、みんなが捨てたキッチンの生ごみをまとめて捨てる。
そんな面倒な仕事もある。
でも、みんなの息づかいが聞こえるような下宿が大好きだった。

ある時、隣の畑をつぶして大家さんが新しいマンションを建てた。
三階建てのワンルームマンション。
家賃は一部屋六から七万円。
最上階には同じ大学の双子の女の子が一部屋ずつに分かれて入るらしい、と聞いた。
「一部屋七万を二人分だって」
「へえ…きっとお金持ちの娘たちなんだね」
「うらやましいね」
そんなことを、キッチンで料理しながら話し合う。
うらやましいかな。
一人でワンルームでテレビ見て、お風呂入って、ご飯食べて。
全部ひとりで。
それって楽しいの?
友達とこうして話しながら料理したり、声を掛け合う人がいる下宿の方が楽しいよなあ。

そう思っていた私だったけど、それからワンルームマンションが流行り始めて、一人、また一人と引っ越していった。
「やっぱりきれいなとこに住みたい」
「お風呂にゆっくり入りたい」
「プライバシ―って大事だし」
そういって、下宿の住人は減っていき、四回生の終わりにはほんの数人になってしまった。

そして、私たちが卒業した後は、男子向けの下宿に変更することにしたと大家さんが言った。
「男子でないと住まないような下宿に私たち、住んでたってことよね…。それって、私たち、女の子としてどうなの?」
友達が言った。

確かにそうだけど…。
でも、楽しかったよね?
みんな仲良くて、カラオケ行ったり、ラーメン食べに行ったり、帰ってきて一部屋に集まって朝まで話したり。
楽しかったよね?
なんだか少し悲しい気持ちになった。

初めての私だけの部屋。
初めての、一人暮らし。
にぎやかで、楽しくて、うるさくて、めんどうで…。
もう、戻ることはない、あの部屋。
最後に片付けて写真を一枚撮った。
いつか、子どもができたら見せてやろう。
お母さん、こんな部屋で青春時代を過ごしたんだよって。
で、いっぱい下宿でのこと話してやろう。

・・・・

いま、子どもができて、時々話してやる。
下宿での楽しかったこと。
でも、どこにいったのか、写真が見つからない。
見せてやりたいのに。
時々夢に見る、あの部屋、あの廊下、あのキッチン。
みんなの声、料理するにおい、新聞を広げている音。

いつまでも、忘れない。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!