尾崎豊と僕⑤
僕は尾崎のアルバム『誕生』と『放熱への証』を尾崎の死後に聴いた。
『誕生』では「COOKIE」と「きっと忘れない」は肩に力が入っていない感じで、無理に作っている感じがなくて、とても自然に聴けた。
特に「きっと忘れない」はとても簡単なコードで、のちに弾き語りでカバーした。素敵な歌だと思う。
生前に聴けばよかった。
確か僕が尾崎ファンだと知っている友だちに、『誕生』の感想を聞かれたことがあって、「僕が買ってない」と言うと、意外だと言われた。
薬に走ってしまった、弱いところも含めて尾崎を受け入れるのがファンなのかもしれない。
斉藤由貴との不倫が報じられた時も、尾崎らしいと言えば尾崎らしいと思った。
それでも僕は尾崎の作品に関して、もっと寛容になれた気がする。
『放熱への証』は尾崎の死後、間もなく発売された。
けれども、やはりしばらく聴けなかった。
のちに尾崎が亡くなる数か月前に急逝した、尾崎のお母さんのことを歌った、「Mama, say good-bye」は何回聴いても泣いてしまう曲になった。
~あなたを覚えてきた~という歌詞がよくわからないし、よくわかる気がした。
尾崎はお母さんとの時間を取り戻すかのように、後を追いかけて行ってしまったような気もした。
僕も同じ立場になったら、同じようになってもいいとさえ思うからだ。
なんなら親より先に死んでもいいとさえ思う。
けれども、十分に親孝行をしてからにしたい。それまでは親には絶対に死んでほしくはない。
大学四年の時だったか、高校の時の同窓会があって、飲み会の後、カラオケに行った。
結構たくさんの人が参加した。
その時、これで時間だという時に、それまで何も歌ってなかった僕は、尾崎の「I LOVE YOU」を入れた。
僕の歌を聴いたことのない友だちが、「やめろやめろ」と言っていたが、僕は構わずに心をこめて歌った。
するとみんな黙りこんだ。
うまいとかヘタとかではなく、僕の歌う尾崎の曲は、おそらく説得力があるからだ。
尾崎の曲ととも生きてきた。
聴けなかった時期でさえ、尾崎のことは常に気になっていた。
そして、今も僕は尾崎とともに生きている。
何か歌えと言われれば、おそらく僕は尾崎の「forget me not」を歌うだろう。
尾崎は今どこで何をしているだろうか。
おそらくファンの祈りによって、天国へと召されていっただろうか。
そんな気もする。
そうして安心して尾崎の歌を歌えるからこそ、僕はカバーしているような気がする。
もし地獄でさまよっているならば、こんなに安心しては歌えないと思うからだ。
それでも僕も尾崎もまだまだこれからだと思う。
永遠の生命の中を生き、まだまだ成長してゆかなければならない。
尾崎、いつになれば、俺は這い上がれるだろう?
尾崎、どこに行けば、俺は辿り着けるだろう?
僕が僕であるために、勝ち続けなければならない。
正しいものが何なのか、それがこの胸にわかるまで。
尾崎、僕はもうつかめているよ。
尾崎はまだ気づいていないのかい?
尾崎、教えてあげるよ。
今度は僕が尾崎にお返しをする番だ。
つづく
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。また、次回お会いできたらうれしいです。
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