10代の頃の私(3)

-両親との出来事-

まず先に言及しておきたいのですが、私は自分の整形について(若干の醜形恐怖症について)、決して誰かのせいにしようと思いません。

20代の私は現在、自らの意思で責任をもって整形と向き合っています。

これから書くことは(容姿に関する)両親との出来事ですが、受け止め方なんて人それぞれで、私が生まれつき容姿について気にしない人間だったらそこまで傷つかなかったのでは、と今は思います。

"傷つく”こと自体は全て自分の先天的な思考や価値観の上で成立している、自ら作り出した幻想なのでは、と感じることもあります。

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私の両親は、激しくとまではいかないが他人の容姿を静かに非難する人たちだった。

例えばテレビを見ながら、母親は「デブね~」、父親は「これは無いだろう、こいつがブス過ぎるから片方がマシに見える」

などという意見を時々口走った。

私が覚えている限り小学生の頃からだっと思うけれど、そのような言葉を耳にする度、私は自分のことを言われている訳でも無いのに胸に突き刺さる如くショックを受けた。

「どうして他人の容姿を非難するんだろう?容姿は生まれつきのものであって、それをけなすことは視覚障害者や人種、それらを差別することと同じなんじゃないか?」

今でもこの自分の考えは変わらない。だから私は人の顔やスタイルを褒めこそすれど、マイナスな意見は一切しない。

またある日、修学旅行の写真を母親に見せたことがあった。

「うわっ、この子すごいブス」

母親がそう言って指差したのは私と仲の良い友人の一人だった。

私は黙っていたが行き場のない怒りをそのとき感じた。

そしてある時期から、ついに父親は私の容姿に意見するようになった。

それは私の鼻についてだったり、目についてだったり、幼少の頃と比べた今の顔についての意見だったりした。

頻繁では無かったし、はたから見たらそこまで酷い言い方でも無かったと思う。それはただの”一言”に過ぎ無かった。

しかし私は父と同じ空間にいるとき、その”一言”をいつ言われるのかという恐怖でいっぱいだった。

自分にとって一番印象的だった出来事がある。

それは小学5年生の頃、叔母と叔父が家に遊びに来たときだった。父親は家に遊びに来ていた親戚夫婦の前で私に向かって例の”一言”を発したのだ。

父は、

"私の父と似ている顔の部位をけなす”="自分(父)の自虐"

という感じで受け止めていたのかもしれない。

私は人前で自分の顔のことを言われた恥ずかしさでいっぱいになり、直ぐに自分の部屋に駆け込んだ。その日はずっと泣いて部屋から出られなかった。

その時点では”整形"という手段さえ知らず「どうやってこの顔で生きていこう?どうしよう…どうしよう…」とただただパニックに陥った。「死のう。こんな醜い顔ではとてもじゃないけど生きていけない。」

そして中学になると顔中にニキビが出来、人とも顔を見て話せなくなり、色々なことも重なって、自分の容姿に対する劣等感(=自殺願望)に更なる拍車がかかった。

ビルから飛び降りようか、手首を切ってみようか、睡眠薬を大量に飲んでみようか、臆病な私はその全てが想像で終わったけれど、何度も遺書を書いた。今考えると笑ってしまうくらいだけど、そのときは本当に真剣に"どうやったら醜い私の存在を抹消できるか”考えていた。

私の自殺願望は小学5年生(10歳)から、”整形”という手段を検討し始める高校時代まで強く続いた。

整形は私にとって生きる希望だった。