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育休、カンタービレ

なぜ赤ちゃんは歌が好きなんだろう。
赤ちゃんが生まれてからの1年、赤ちゃんのためにたくさん歌った。落ち着かせるために、楽しませるために、寝かせるために。人のためになるような歌声は持ってないのに。
歌うような、実際歌いまくった、産後の日々を振り返る。

※このnoteは前回からの続きです。
よければ前回のnoteもご覧ください。



分娩後入院生活

分娩という大仕事を終え、夕方。昼食を食べ損ねていたため腹ペコだった。さあ、どんな夕食で私を労ってくれるのかね?^^なんて思っていた。だが私が入院したのは総合病院。慈悲はなかった。
〜夕食のお献立〜
・野菜と厚揚げの小鉢(少量薄味)、小さなアジ、米200g
そして〜翌日の朝食〜
・味噌汁、野菜の小鉢、米200g
宮沢賢治が献立を考えているのか?と思ってしまう質素さかつ米の多さだったが、2種類のふりかけを持参していたおかげで大量の米も楽しめた。分娩入院に一つだけ持っていけるなら何を持っていくか?ふりかけである。
あと、母子別室はめっちゃ暇だった。 

里帰り中〜夫婦育休期間


退院から1ヶ月は実家で母(専業主婦)と夫(育休中)と過ごした。ほとんど寝ている新生児1人に大人×3、は正直戦力が余ったが、まあ足りないよりはよかったと思う。
生後1ヶ月が過ぎた頃に自宅に戻り、2ヶ月までは育休の夫と2人で育児。2部屋が繋がっている形の1LDKに住んでいたため、夜赤ちゃんが寝た後はキッチンの電気だけを点けてテレビの音量は下げて、蛍の光窓の雪…みたいな生活をしていた。やがてそんな生活には限界を感じ、夏に2LDKに引っ越した。

夫育休終了

赤ちゃんが生後2ヶ月を迎えた頃、夫の育休が終わり、日中母子2人きりの生活が始まった。
子育て中の母は孤独だと聞いていたが、私はもともとほぼ在宅の仕事をしていて平日は夫ぐらいとしか話してなかったため、むしろ赤ちゃんという話し相手が増えて寂しくなくなった。少しずつ人間らしくなっていく様子は、面白く、神秘的だった。これを一番近くで毎日見れるのは、私的に育児の大きな醍醐味だと思った。


春に生まれた赤ちゃんは夏にはかなりもっちりしてきて、よく笑うようになった。おもちゃを掴んだり、追視をしたりもできるようになった。今ももちろん可愛いが、この頃の無力無害な可愛さにもたまに会いたくなる。switchの桃鉄みたいに10個くらいデータ保存できたらいいのに。


秋には離乳食が始まった。なんとなく、うちの子はよく食べるだろうなと思っていたが、離乳食、喜ばない。食べない。もうやめてくれ!乳よこせ!と言わんばかりに泣く。想定外だった。だんだん離乳食の時間が苦痛になり、もしかしたらまだ時期じゃないのかも、と一度お休みして数週間後に再開してみた。めっちゃ食べた。赤ちゃんって本当に分からない。


冬になると、ずりばい、おすわり、はいはい、つかまり立ち、伝い歩き…と急激に運動能力を上げていき、行動範囲が広がった。体重は10kgにも満たないのに、はいはいはベチ!!ベチ!!伝い歩きは、ダーン!!ダーン!!とありえないほどの重量感で動き回る。集合住宅住まいとしては日々冷や冷やさせられた。
また離乳食も回数と量が増えて、負担が格段に増した。3回食が始まってすぐの頃は、これ1日中ごはん食べさせよるやんけ…と思った。準備も片付けもいらなくて、口に含ませれば勝手に飲んでくれた完母の日々はなんて楽だったのだろうと恋しくなったりもした。

春、と今

そして現在、春。状況としては、上述した冬の様子のパワーアップバージョン。毎日伝い歩きでシャトルランをしているし、卒乳して食欲が増し、最近は食事が終わるたびに号泣する。でも抱っこで気を逸らすとすぐ泣き止む(かわいい)。
また、人が大好きで、自分から見つめたり近寄ったり声(喃語)をかけたりする。でも向こうから声をかけられると人見知りして泣く。当たり屋である。

あんなによぼよぼで、ふよふよで、ギリギリ人間として生まれてきた様子だった赤ちゃんが、1年で脳筋大食らいの当たり屋になるなんて。隣にいた人が1年でこんなにも大きく成長してしまうと、自分は何か成長できただろうかなんてちょっと焦ってしまう。

4月、慣らし保育が始まった。毎日泣きながら頑張っている。
入園式では、年長さんがお歌を披露してくれた。いつか、うちの子も歌えるようになるのかな。
育休が終わって、一緒に居られる時間は減るけど、保育園でたくさん楽しいことを見つけてほしい。私の知らないお歌を披露してほしい。
歌ってしまうような楽しい日々が、これからずっと、この子に訪れますように。

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