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閉じ込めることで永遠につながる瞬間がある

note引退するとか言いながら、やっぱUI美しいなと思って戻ってきてしまった。

大型の休みができると1人でふらっと旅行に行っていたなあと思いだした。今の体力ではとてもじゃないができないんだけどさ。遠い昔のおとぎばなしのようだ。

わたしは心と体が分離しやすく記憶が抜けることがあって、それに自覚的になってからは文字とか絵とか写真とか色んなアウトプットに頼っていた。

一人旅、カメラを持つと様になるところがあるし、自分の内的動機づけにもなった。動機づけしないと疲れて外に出ないこともあったから。それで使いこなせないのにPhotoshopなんか触っちゃってさ。それを会ったこともない人たちの集合体、SNSの空間に投げ込んでた。ポートフォリオのようになったあるSNSは、もうずいぶん触っていないけれど、宝石のようにぎゅぎゅっとした密度で今も待っていてくれるんじゃないかしら。

シャッターの音が目の前を切り取ってくれるようで、その写真たちは今眺めてもその空間の湿っぽさや風や光の感じが思い出されて、美化しているかもしれないけれど時が経つのは悪くないと思わせてくれるタイムマシンのようだなって思う。

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