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『意識のデータ化』10月9日に考えたこと

  • 『国家をアンバンドルする』というワードを見て。昔、国家や帰属組織が提供するサービスを、個人がそれぞれSaaS的にリバンドルすれば、国や人種や言語に縛られずに生きられる世の中になるのではないかという話をしたことがある。ふるさと納税とかがきっかけの議論だったと思う。

  • その時の結論は、人の意識が物理的な人体に拘束されている所がネックになるとの認識。特に安全保障領域の国家からのアンバンドル(我々日本人で言えば警察、自衛隊から切り離して=その対価を払わずに、代わりに個人的にALSOKとか米軍と契約するみたいな。突拍子もないようだが、実際に既に海外在住時にはこれに近い状態になっている)が効かない。

  • これを解決するには意識のデータ化というか、生命のアップロード的な、イーガン的な話が出てくるのだが、流石にまだ技術的にきついだろうし、我々旧時代人類は倫理観的にも耐えられないだろう。

  • 意識をアップロードする話をする時に気になるのは、①データの生命の他に物理的な生命を残すか、と②データの意識と物理の意識の体感速度の違い。①は多分データの生命の人権の話に、②はデータの意識の質(完全なコピーを目指すか、廉価版的な機能制限をよしとするか)あたりが絡みそう。この話はまた別に書きたい。

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