自分がやりたいことは何ですか?

自分がやりたいことは何ですか?

この問いを私は25年間ろくに考えずに来てしまいました。

※以下、自分の中での葛藤に悩んでたけど、やっぱりこれからは自分のやりたいことします、とかほざいている25歳社会人2年目のクソみたいな文章が存在します。気分が悪くなる方もいらっしゃると思うので、そうなりそうだなという方は見ない方がよいです。

※自慢しているわけではありません、むしろ普段は謙虚オブ謙虚です。
匿名noteなので、言いたい放題書いてみようという試みです。お許しください。

私は某難関国立大学の工学部・大学院(修士)を卒業し、現在は有名日系大企業で働いています。

会社自体の業績も悪くなく、待遇も良く、パワハラもなく残業も多くない。残業代も1分単位で出る。先輩は何でも優しく教えてくれる。

つまりホワイト企業です。

ここに勤めていればきっとなにも困ることなく生きていけるでしょう。

じゃあ、何が不満なのか?

不満はありません。

じゃあ、なぜ悩んでいるのか?

私と同じような道をたどってきた人にはわかるかもしれません。

「周りの期待に応えること」が目的となってしまっていたことに

これまで気づかなかったからです。

「自分が好きなことではなくできることを仕事にするのがあたりまえ」

「工学部で学んだんだからエンジニアになるのがあたりまえ」

「専門性があるのだから、専門的な仕事をするのがあたりまえ」

エンジニアにならないなら、なぜ理系に進んだの?大学院まで出たの?
と言われ、もったいないと残念がられる。

もう嫌になりました。

いやになりました。

自分の本当に好きなこと、やりたいことがわからない。

社会に出て初めて社会の広さを知る。現実を知る。

たくさん勉強していい大学を出ていい会社に入れば幸せだと思ってました。

狭い価値観。

留学もして、「世界が広がった」とか言ってたけど全然広くなかった。

私は高校生の時、勉強が好きでした。

とはいってもいわゆるがり勉ではなく、友達もたくさんいたし、

勉強だけでなく課外活動もやっていました。何百人という学生の前に立って話をしたり。いろんな活動を企画したり。生徒会に入ってみたり。自分で考えた授業をやってみたり。

そういう活動をすることが何より好きでした。

勉強も好きでしたが、勉強はゲームのようなものでした。

やった方が人に信頼されやすい。生きていきやすい。

人生を楽しく送るためのアイテムのようなものでした。

だから、わたしにとって大学に行く目的は、「素敵な人たちと一緒に、新しいことをする。面白い活動をして、社会を明るくする。」「自分で研究を行うことによって、問題解決のやり方を身に着ける。」ということでした。

でも、いつからだろう。

大学3回生くらいからでしょうか。もしかしたら大学入ってすぐかな。

勉強、つまり自分の「専門」というものに、だんだん縛られていきました。

「私はこの分野を勉強しているんだ」
「この分野に詳しくなるために大学に来たんだ」

本来の目的を見失っていました。

もちろん勉学が一番の目的であるべきですけど、それ以外にも自分で何かを作り上げるという目的、人生を豊かにするという目的は、どこかにいってしまったのです。

それはなぜか。

よくわかりません。

自分が甘かったのだと、今は思います。

もっと「自分のやりたいこと」が何か考えていれば。

大学の時実は行動はしていて、色んな人に会いに行って話をしたり、留学したり、ボランティアしたりサークル活動したりして…

すごく楽しかったんです。

なぜ、そこから軌道修正しなかったんだろう?

工学部から他の学部に転学部するとか

修士に進まずに就職するとか

大学院で違うジャンルに飛び込むとか

そういうことをなぜしなかったのだろうか?

環境に甘えてしまったのが一番大きかったんだと思います。

みんなと同じでいたい。親を喜ばせたい。

今から振り返るとなんとでもいえちゃいますね。

当時は一生懸命だったはずなんですけど。

そうやって環境に甘えて思考停止してきた結果が現在です。

何十倍もの倍率を勝ち抜いて入社したはずの大企業。

内定の連絡を頂いたときも、そこまでうれしくなかった。

親の勧める企業には行きたくなかったから、同じレベル感、同じ業界の別の企業を選んでそこを受けたのですが(親の言いなりになりたくなかったから(笑))

でも自分が本当にやりたいことはその業界じゃなかった。

ほんとうは経営とか自分で事業を立ち上げたり、サービスを作ったりそういうことをしたかった。(当時自分は起業なんて壮大なことは出来ないと思っていたので、就職しようとは思っていた。つまりリクルートとかベンチャーに行きたかった。)

でもそんなことしたら、親はせっかくお金を出してくれたのに悲しむんじゃないだろうか?

そしてなにより、この6年間の自分の経歴はどうなるんだろう?

全部無意味になるんだろうか?

※そんなことは絶対にない。
(例えに出すのは大変おこがましいがファンなので出させていただくと、クイズノックの伊沢さんだって、経済と農学を学んでいたが、いまはそのどちらでもないクイズで素晴らしい事業を起こしている。
他にも工学部から官僚になったり農学部から銀行に行ったり理学博士がベンチャー行ったり…本当にいろいろある。)

でも。自分は”ビビってしまった”。

親が悲しむんじゃないか。

留学の時お世話になった先生が悲しむんじゃないか。

自分が後悔するんじゃないか。←これが一番大きかった。

やっぱり6年間関わってきた自分の専門分野は嫌いじゃなかったし、好きだった。(全く成果は出せなかったし、向いてるとは思えなかったが。)

だから、この専門性をいきなりゼロにしてしまうのは

すごく怖かった。

文系就職する同期ももちろんいた。彼らのように、私はなりたかった。

でも私にはできなかった。

なぜかはわからない。未練があったのだろう。

でも今はわかる。

1年間、自分の専門分野で働いてみてわかった。

もう未練はない。この分野で働くことで自分は幸せになれない。

働いて初めてわかることってほんとうにたくさんある。

1年間働くまでは、

「「わたしはエンジニアになりたい」と思っている」と思っていた。

自己暗示みたいなもんだ。イルミがキルアに釘を入れてるようなやつ。
(ハンターハンター大好きなんです、すみません)


長々と書いてしまったがつまりこういうことだ:

本当は事業企画や経営企画、新事業立ち上げをやりたかった。

しかし自分が「工学という”専門性”を身に着けてしまった」ことで、
上記の分野に進むことに”負い目”を感じてしまった(自分の考えの甘さ所以)。

したがって、専門性を活かせる分野に就職した。
(そうすることで、負い目を感じないように、周囲に喜んでもらえるようにした。)

で、1年間働いてみて、「やっぱりこれじゃない」との確信を持った。

以上です。

会社にしてみたら迷惑な話だよね。
なんで来たんだよっていう(しかも推薦枠で)。
大切に育ててくれているし、確実に上司を悲しませるでしょう。

わたしの部署に来たかったけど希望が通らなかった同期たちにも、
「いや、早く気づいてろよ」と思われることでしょう。

ほんとに申し訳ない。

でもこれ以上は無理だ。

自分を洗脳するのはやめましょう。

これ以上人に迷惑をかけないためにも、
自分を幸せにするためにも、
専門性なんて関係ない、やりたい道に進もうと思います。

退職を伝えるときとか、絶対また病むんだろうな…

そのときはまたnoteにお世話になろう。

noteがあってよかった。

noteをつくってくれたひと、ありがとうございます。

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