ごちそうさまが聴きたくて
そのひとと出逢ったのはもう一年半以上前のこと。
わたしたちを逢わせてくれたのは、わたしがnoteに文章を書き始めるきっかけとなった、フジ子さんだった。
わたしとフジ子さんをつないでくれたのは、他でもない車椅子で。フジ子さんが病後に足を痛めて車椅子に乗ることになったからこそ、わたしが彼女のもとを訪れるようになったのだ。
いつも一緒に車椅子でお出かけをしながら、そしていつしか外出が難しくなってからも、彼女の生き方から学んだことはたくさん、たくさんある。
その中でも一番心に残っているエピソードを書いたnoteに、そのひとが不意にコメントをくれて、その日からわたしたちはここでことばを交わすようになった。
そのひとは幼い頃からずっと、車椅子に乗っていた。そしてその日々の体験から感じたことを作品に昇華させて、ここで綴っていた。
どれをとっても、車椅子で生きるひとのリアルな日常と、複雑な心模様の描写に圧倒される作品ばかりで、読むたびに胸が震えた。
最近では小説だけにとどまらず、メディアサイトでも活躍されていて、その独自の視点から切り取った、読む人に鋭い問いを投げかけるような深いテーマのコラムを連載されている。
そんなわたしの尊敬する作家、篭田雪江さんから、先日なんとこんな嬉しい贈り物が届いた。
題名を読んでわたしは「えっ、まさか…」と息を呑んだ。
いちまいごはん、なんてそこらへんにそうそうある名前じゃあない。これって…
読み進めていくと案の定、それはわたしのはじめた新しい取り組みのことが書かれた物語だった。
しかも、出てくる主人公は雪江さんと同じくここnoteで出逢ったわたしの大切な友人。そしてそのお子さんがモデルとなっているのは間違いない。
現実の世界でなかなか会えずにいたわたしたちを、おはなしの中でさらりと逢わせてくれた雪江さん。
その温かい心遣いに、涙が止まらなかった。
ありがとう。本当にありがとう。
ねえ、雪江さん。
いつか、みんなで食卓を囲みたいね。
あのひとも、あのひとも。みんな、みんな。
ほかほかごはんの入った土鍋を真ん中に、ワイワイ言いながらおかずを取り分けて。
あったかいお汁をすすりながら、それまでにあったいろんなことを話そうね。
いつしか土鍋が空っぽになっても、誰も席を立たなくて。
お茶を何回も何回もお代わりしながら、尽きぬ話をずっとしてたいね。
わたしのいちまいごはんは、お店じゃないから。
セルフでなんでもおまかせしちゃって、ね。
お味噌汁も自分でつくるの。
あれ?わたしが楽してるだけなんじゃない?
ほら、おだしと具とおみそと、そこにあるからね。
ちょっとずつ味見して、きょうの気分で、あなたの好きなものを、好きなだけ。お椀の中でぐるぐるぐるっと、できあがり。
そうそう、雪江さん。
アイさんの珈琲、どうしてわかったのかな?
ちゃんと豆から挽く珈琲ね、これこれ。
大切な友人がね、わたしの似顔絵入りの珈琲缶をつくってくれたんだよ。
忙しい時は手のあいてるひとに「ちょっと豆挽いてもらえない?」ってお願いしたりして。
お客さんとか店主とかおとなとかこどもとか、そういう垣根をぜーんぶとっぱらっちゃって、みんなでゆるゆると過ごしたいな。
ほんとにね、あのおはなしみたいにね、おかずをもってきてくれるひと、いっぱいいるんだよ。
おだしもおかずも、なくなっては足し、商店街へ走り、またつくって、誰かがもりもり食べて、誰かがまた持ってきてくれて。
ぐるぐるぐるぐる、優しさが廻る。
そのうち窓の外に夕陽がさしてきて。
「さあ、いいかげんもうそろそろおしまいよー!」なんてお皿を片付けながら、ね。
みんなでまた来週ねーって笑って。
そうして、最後の最後に、みんなで言いたいな。
今日も、ごちそうさま。
みんなでたべると、おいしいね。
またここで、あおうね。
★★★
これまでいちまいごはんへサポートやシェアをくださったすべての方に深く感謝します。
これからも、神戸の街の片隅で、日々の暮らしのなかにさらりと溶け込んでいけるように、ずっと続けていきたいなと思ってます。
どこからでも、どうぞいちまいごはんを見守ってくださいね。
本当に本当に、ありがとう。
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。