ここにいるよ
それにしても坂爪圭吾つながりの話ばかりだな、と自分でも笑っちゃうけど、彼との出逢いは、こうして連日書かずにいられないくらい、わたしの人生を大きく変えた。
彼の周りに自然と集まってくるひとたちとの出逢い。わたしの歩む道とそのひとの道とが交差して、影響を与え合い、時にシンクロしてうねりながら、またそれぞれの道をゆく。不思議なご縁でつながって、新しい世界がまた生まれて、わたしと誰かの物語が紡がれてゆく。
やつはさんとの出逢い、もそのひとつ。
彼女とはじめて出逢ったのは、大阪で行われた坂爪圭吾さんのライブ会場だった。
彼のブログに出てきた“面白いひと“やつはさんのことがなぜかとても気になっていて、一度お会いしてみたいと思っていたわたしは、その日大阪に来ているはずの彼女が、そこに現れるような気がしていた。
入ってきた彼女はすぐ一目でわかったので、迷わずわたしは「やつはさんですよね?」と声をかけた。そこから少し話をして、生まれ育った家を出て、たったひとりで行く宛もなく、時には野宿をしたり無人駅で一夜を明かしたりしながら旅をしているという、不思議な彼女のことがもっと知りたくなったわたしは「関西で行くところに困ったらいつでも声をかけてくださいね」と連絡先を交わした。彼女はその後どこかへ行くようなことを言っていたから、ライブが終わって駅まで一緒に向かったところで別れ、それぞれの行く先へと電車へ乗り込んだところで、わたしはふと思った。
「あの彼女が、もし今困っていても自分から初対面のひとに泊めてください、とは言い出せないだろう。」
すでに別れていた彼女にメールで「泊まるところが決まってなければ、うちは良かったら今夜でもいいですよ!」と連絡してみた。
わたしはそれまで、完璧に片付けてからでないと自分の家にひとを呼ぶのが苦手だったから、そんなことは本当に初めてだった。
その日のうちに彼女が泊まりに来ることになり、そこからわたしたちの不思議な縁がつながった。うちに泊まって次の目的地に向かった彼女は、出先で体調を崩して我が家に舞い戻り、そこからしばらく文字通り動けなくなってずっとうちにいた。
わりと人見知りするたちのうちの娘が、彼女のことはなぜか初対面からとても気に入っていて、このままずっといてほしい!と懇願するほどになついていた。
やつはさんとは、本当にとりとめもなく、いろんなことを話した。普通のひととは絶対に話さないようなコアな話をたくさんした。お互いが、お互いの話から、それぞれに影響を受け合って、ものすごい相互カウンセリングみたいなことになっていたような、気がする。
そうやっていつの間にか関西に来たらうちにいるのが当たり前、になったやつはとはもう親戚みたいな、なんなら姪っ子みたいな(歳そんな変わらんけど!(笑))感覚で、こんな出逢いもあるんだなぁと感慨深い。
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『表現しないと死ぬ種族』とは彼女のことばで、わたしもそうなんだという自覚はそんなになかったけど、最近よくそういう意味のことを他人から言われるように思う。
このブログの最後に彼女の今やっている舞の動画がアップされている。
彼女もこれから外で、ストリートで、舞おうとしている。
最近わたしの知り合うひとたちは、この種族、がとても多い。
先日大阪のライブで踊っていた春花さんもやっぱりこの仲間だ。
動画でここまで伝わる彼女の凄まじさ。
生身の彼女の踊りを観たら、人生変わらずにいられないだろう。
一度観てほしい。
みんな『自分』をそれぞれのやり方で、表現している。
というか、表現しないと生きていけない種族、なんて本当は存在しなくて、人間とは本来みんなそういう生き物なんじゃないか、そう思った。
表現しないと生きていけないのに、どう表現していいかわからない。
だから葛藤が生まれ、本質でないところで悩み、やがてゆがみやひずみが生まれて、苦しくなって、生きられなくなってしまう。
ここnoteに集まるのも、そんな葛藤を抱えながら、それでももがいて自分を探すために書き続けているひとが多いような気がする。
『場』をつくればいい。
どんな表現でも受け入れて認め合う、場を。
そう、このnoteみたいな。
わたしはそれをみんなの顔が見える場所で、自分の手の届くところで、やりたい。
わたしのやるべき道は、そこにつながっているのかもしれない。
いまはまだ、かたちにならない、概念しかないようなふわっとしたものを。
かたちにする。しっかりと。
それがきっと、いろんなところを寄り道しながら生きてきたわたしにできること。
わたしにしか、できないこと。
やろう。できることから。
この度の大阪ライブで、たくさんのひとと逢ってたくさん話した。
みんなもそれぞれに、やろうとしている。
そういうみんなが、ほっとできるような場をつくれたら。
おかえり。ご飯あるよ。食べる?
そう言って、一緒にお茶でも飲みながら、なんでもない話をしたい。
それって普通にお母さん、みたいなものだけど。
でもお母さんじゃなくても、みんなに、そう言いたい。
みんな、おいで。わたしはここにいるよ。
いつでも来ていいからね。
お茶でも飲みながら、話をしましょう。
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。