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わたしの好きなもの

わたしの敬愛する坂爪圭吾氏の本がついに発売となった。

行けるはずのなかった出版記念ライブにも、なんとも不思議な幸運が重なって参加することができた。

ご本人から手渡しで受け取った本を、わがままを言ってこの日にしかできなかったスペシャルな仕様にしていただき、わたしにとってとても大切な宝物になった。

けれど、正直言ってこの本をはじめて開いた時、これまで慣れ親しんできたはずの彼のことばが、あれ?なんだか全然入ってこないなぁ、と思った。


元のブログ『いばや通信』とはずいぶん違う雰囲気で、いろんな部分を少しずつ抜き出してあるからなのかもしれない。

わたしは、いつも疾走するように一日一日生き終えていく彼の日々と、その周りで彼と関わりはじめて流れてゆく知らない誰かの日々とを、時系列で追うことができた『いばや通信』の形がとても好きだったんだなと、改めてそう思えた。

でも、だからこそ、彼の意思とは関係なく他人によって抜き出されたことばたちが、これまで彼のことを知らずに生きてきた、新しい誰かに届くような気がした。


『いばや通信』はもう、その流れをとめた。

流れてゆかないで、本の中に留まる形にされた彼のことばたちが、どんな風に人々に届いてゆくのか、それをこの目で見ていられることがとても嬉しい。


立ち寄ったカフェで、移動の電車やバスの中で、この本が誰かの目に留まればいいなと思いながら、常に手元に置いて少しずつ読み進めている。

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わたしにできることはとても小さいけれど、この本が少しでも興味を持ってくれたひとに届くよう、なにかしたいなと思ってこんなことを始めてみた。


一日一筆。

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パッと開いたページで心に残ったことばを、書き写してみる。

わたしの、今日という一日を彩るひとつの文章。


もしかしたらそのことばが、いつかどこかの誰かに響くかもしれない。

あの日、わたしが彼のことばに出逢ったように。


ここnoteにはたくさんのことばを愛するひとたちが住んでいる。

わたしも、ひとより本が好きな人間だった。

そういう気持ちで生きている誰かに、そのことばが届いたなら。


本を置いて、外へ出てみようという気持ちになるかもしれない。

ことばと出逢い、ひととふれあって、自分の想いをあらわにしてみる。そうしてはじめて、ひとは自分を知ることができる。


やりたいことなんて今はまだわからないかもしれないけれど、好きなものを好き、と言うことなら、きっと誰にでもできそうだ。

たとえ外に出なくても。あなたのフィールドで。

好きなものを好きだと言おう。どこからでも。

それは、きっと誰かに届く。


やりたいことをやるために、好きなものを好きだというために、僕らは生まれてきたんだ。


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