穏やかに暮らすという生き方
お正月も明けてすっかり通常モード、のはずの1月だけど、我が家はまだまだのんびりゆるゆる、全然エンジンがかからずじまい。
わたしの悪い癖で、フルスロットルで突っ走る無双モードの時と、なんにもしないでダラダラ惰眠を貪るナマケモノモードの時のギャップが激しくて、毎年1月はこんな感じ。
ほうらね。
去年やろうと決めたこと、少しはできたのかな。
今年やろうと思ったこと、少しは実現できるかな。
考えだすとぐるぐるしちゃうけど、いまは足元を見つめて、おろせそうな場所にゆっくり片足ずつ踏み出す、ただそれだけ。
そう考えて日々を生きている。
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先日、最近出逢った友人のおうちに招いていただいた。わたしにしては珍しい、いわゆるママ友ってやつで。
こどもを介して知り合った友達だから、ママ友。歳も少し上で、バックボーンも全然ちがう、新しい世界のひと。
まず、おうちがほれぼれするほど素敵。
古い民家で、決して今時の快適な住まいではないのだけれど、隅々まで美しく整えられていて、飾られたお道具や趣味の小物がそのひとそのものを表しているようでなんとも味がある。
どうしたってこどもがいると、雑誌に載っているようなスタイリッシュなお部屋にはならないけれど、家族の持ち物やインテリア、古い受け継がれてきたものがいっしょくたに置かれていても、不思議と統一感があるのだ。
うちだと逆立ちしたってこうはならない。
わたしは壊滅的に片付けることができない。
家、に興味がないからだ。
わたしにとって、身体ひとつがうち、であり、そこがホームなので、物理的な家にその役割を求めていない。極端な話、寝れたら居場所はどこでもいいのだ。
それでも、こういう落ち着いた暮らしを日々営んでいるおうちを見ると、ああいいなぁ、こういう暮らしって素敵だよなぁ…と心から思う。
自分にはとてもできない、と思いつつ、なにかひとつでも参考にできるところはないかなぁと探してしまうのだ。
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わたしにできそうな分野といえば、食卓くらいか。
ただのおにぎりだって、こうして出せばあら素敵。
葉蘭はお庭に植わっているものらしい。
そう、うちの義母もそうだけれど、素敵なおうちはちょいとこういうものを庭先から採ってきて、さらりとあしらえるのだよなぁ。
ハーブや彩りの植物を庭で育てる、そんな穏やかな暮らし方に憧れる。
自家製のお赤飯はひょうたん型で抜いて、六つで無病息災なんだって。
そんな素敵なアレンジどうやったら思い付くの!?わたしの前世には一度もなさそうな世界観である。
こどもたちの集まりだったので、遊びながら合間に食べられるようにこの献立になったらしい。寒い日だったので、具だくさんの豚汁を鍋いっぱい作ってくださっていた。
うちは娘が焼いてくれた卵焼きを持参して。
大人はおつけものやお菓子をつまみつつ、お茶やお正月のお下がりのお酒をちょっといただきながら食卓でエンドレスに語らう。
こどもたちは別の部屋でみんなでワイワイ遊びながら、ひとり、またひとりと、食卓に戻ってきてはおにぎりをつまんで、また輪に帰っていく。
豪華なパーティーメニューじゃないけど、心がふわっと豊かになるような食卓。
こういうあったかいおうち、いいなぁ。
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あれもこれも欲張ったって思うようにはいかない。
ひとには得意不得意があって、不得意な分野にチャレンジするのは良いことかもしれないけど、頑張りすぎるとしんどくなる。
もう十分、この身体で自分を生きてきてよくわかっているから、無理はしない。
己を決して甘やかさず、でも高望みもしすぎず、少しだけ爪先立ちしたなら届くような、そんな暮らしを目指そう。
まずは、誰がいつ来てもゆっくりお茶くらいは楽しめるように、いまいるこの場所から。
さあ、スマホを置いて、散らかった部屋の片付けをはじめようか。
今日もよい一日でありますように。
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