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母語訛り、万歳 少なくともわたしはそう思う。

おとなになってから語学学習すると、どうしても発音に母語の癖が出やすい。
発音に関しては、わたしが思うに、運動が得意不得意といっしょで人によってかなり差がある。

しかし、わたしは学習する外国語の「発音がすごくいい」か「ちゃんとした文法でちゃんとした内容がきちんと話せる」のどちらに重きをおくべきかというと、絶対に「文法、内容」だと思う。

歌を歌うためや舞台でせりふを言うためにその言語の発音を勉強している、とかいう状況ではない限り、「文法と内容重視」でいくべきだ。

母語の癖って、その人の国を反映した名刺のようなもので、「あ、あなた日本人なのね」でいいじゃないか。(開き直り)

わたしたちは人の話を日本語で聞くとき、次にだいたい何を言うのかを推測しながら聞いている。だから、倒置法とか通常出ない文法を使うと聞き手が少し面食らうから強調構文となる。
日本語があまり上手でない外国人と話していてこっちも疲れるのはなぜかというと、次に何を言うかが予想できないので、いつもより脳を使ってしまうからだ。
だから話す相手の外国人が、発音がいいのに文法が変だと話の流れについていけずにすごく疲れる。しかし、たとえ発音に訛りが強くても、文法がちゃんとしていれば話を追いやすいのでこちらも疲れにくい。

わたしは日本人であることに誇りがあるから、日本語訛りでも全然恥ずかしくない。

訛りって、多種多様でおもしろいじゃない。楽しいじゃない?言語にまた別のいろどりが加わる感じがして好きだ。

更に言うなら文法だって。
母語に引きずられた自分オリジナルの中間言語だって面白いじゃないか。

だから自分の発音や話してる最中のミスなんて、全然気にしないで、ただただ話すのを楽しもう。

外国語に挑戦するのはは楽しい。
自分の口が試したことのない音を出そうと頑張るのはおもしろい。
でもできないなら、それでもいい。
やってみる過程が大事だから。
わたしはそう思う。


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