メンヘラJKがしあわせJDになる方法。ステップ2:なぜメンヘラだとしあわせになれないの?

 まるでメンヘラは不幸みたいな言い方ですね。全国のメンヘラさんに失礼です。
 何もメンヘラ自体は悪くないことじゃありません。愛されるのが特段に巧くて、自分も相手もそれでしあわせなら、何も問題ないと思います。むしろそういう相手がいたら私に紹介してください。いくらでも愛して差し上げます。本当に。

 でも、多くのメンヘラの恋愛は、最終的に、メンヘラであるあなた自身も、そして相手も傷つけて終わります。
 そして、次の恋愛でも失敗します。
 私たちは愛されたいだけなのに、なぜそんなことになるのでしょうか?

しあわせってなあに?

 そもそも、「しあわせ」とは一体なんなのでしょうか?
 形もないし、目にも見えない。そんなしあわせを求めて、古来より人々はいろんなことをしてきました。
 物がないから物をつくる。あるいは奪う。地位とか、権威とかを欲した人もいました。それがあれば、しあわせになれると思っていたからです。

 あなたにとって、しあわせとはなんですか?
 もしくはどういう時に、しあわせだと感じますか?
 考えてみてください。一日の間にしあわせだと感じた数、どれくらいありますか?
 嫌なこと、つらいことの数よりも、しあわせなことの数は、多いですか?
 そこで「あれっ?」と思ったら、今こそ変わる時ですよ。

メンヘラが引き起こす悲劇

 この話をするにあたって、少し、私の過去の話をしようかと思います。
 そんな面白い話ではないので、興味がなければ軽く読み飛ばしてください。

 高校生の時の花山の居場所は、オンラインゲームとSNSだけでした。
 恋愛経験はありませんでしたが、特段ぼっちと言うわけでもなく、アニメやゲームの話題で盛り上がれる友達がそこそこいました。
 多分、その頃はその頃で毎日楽しかったのかもしれません。ですが、私の本当の居場所はインターネットの海なのだと、この時は本気で思っていました。リアルの友達と話すより、ゲーム仲間やSNSの友達とおしゃべりする方が、なによりもしあわせだったのです。
 そんなある日、突然のことでした。
 よくSNSでやりとりする友達の一人から、このようなメッセージが送られてきたのです。
「好きです 付き合ってください」
 そんなことを言われたのは初めてで、断るのも申し訳ないし、なにより恋愛に興味があったので、ついOKしてしまいました。来週リアルで会うことも、OKしちゃいました。当時高校一年生の私は、見知らぬ誰かとリアルで会うことを、なんの躊躇もなく決めてしまったのです。
 初めて会った彼は、私としては普通に許容範囲──むしろタイプな方でした。彼は私よりも5歳ほど年上で、社会人でした。
 そんな彼と色々やりとりするうちに、私は愛されることのしあわせを知ってしまいました。
 彼と一緒にいること、それが何よりの幸福でした。
 しかし、この恋は一年くらいで破綻しました。
 それからもズルズル恋人でいましたが、ほとんど肉体関係という感じで、最終的に自然消滅しました。
 なぜこうなってしまったのか?
 答えは単純明快。私がメンヘラだったからです。

自分の感情のコントロールができない

 最初は、一日に一度くらい話が出来たらそれでいい、ぐらいにしか考えていませんでした。
 それが、一日に数回、いや一時間、夜中ずっと、むしろ一日中相手と繋がりたくなりました。
 彼と一緒ならしあわせなので、ともかく彼と繋がれる時間を増やします。
 でもそれはこちらの事情であって、あちらにはあちらのライフサイクルがあるわけです。
 なのに相手を求めてしまうのは、自分勝手としか言いようがありません。
 ここで「我慢しなきゃ」と踏ん張るとします。いつまで経ってもかまちょしていたら、みっともないし、嫌われると思うからです。
 しかし、その寂しさを消化する他の方法がない以上、だんだんとフラストレーションが溜まっていきます。そして、何かの拍子に限界を超えてしまい、結局相手を傷つけてしまうことになります。
 相手のことが好きであるはずなのに、感情のコントロールが出来ず、いやなことばかり考えてしまったり、ひどいことを言ってしまったり。感情のコントロールが出来ないメンヘラは、自分も、他人も、傷つけてしまいます。

変化に怯える

 今までの彼はああだったのに、いつの間にかこうなってしまっていた。ああ、私の好きな彼はどこへ……。
 そのようなことがあると、我々は激しく取り乱しがちです。特に私の場合、これが原因で彼との関係が破綻したと言い切ってもいいくらいです。
 今が一番しあわせだ。今のままでいたい。これからもずっと。
 私たちはこのように考えがちだけど、残念ながら、変わらないものは存在しないのです。
 このままずっと同じ関係を維持するのは、難しいことです。もし維持できたとしても、変化のない関係は本当つまらないですし、成長する気のない人間よりも、変化を受け入れる前向きな人間の方が魅力的です。
 そして勘違いしてはいけないのは、変わらなければいけないのは相手ではなく、自分であるということです。
 今でも充分しあわせだからといって、努力を怠っていませんか?
 今一度、自分の姿を確認してみましょう。

自分を切り売りしない

 変化する、というのは、相手の望む姿になることではありません。
 「あなたが望んだからそうする」というような、自分の身体を削って差し出す行為は、正直誰でもできます。世の中にはあなた以外にもいっぱいメンヘラが存在しますし、その人たちでもできることなのです。
 だから、自分自身を犠牲にする割に特に効果のない「自分の切り売り」はしないでください。
 あなたならではの変化をしましょう。これは、この連載を通じての大事なテーマになっています。

最初の目標:寂しさの消化のしかたを学ぶ

 ステップ1、2を通じて、あなたはどのような人間なのか、そして、なぜメンヘラを脱却する必要があるか、お分かりいただけましたでしょうか。
 繰り返しますが、メンヘラであることは悪ではありません。ただ、人よりも少し、寂しがり屋なだけです。
 しかし、それが原因で、更に孤独になってしまうことが多々あります。
 愛の不足による隙間を埋める手段がないので、相手を必要以上に求めてしまい、「重い」とか「束縛すんな」みたいに言われて、嫌われてしまうわけです。
 じゃあ、どうしたらいいんだろう?
 自分のことを好きになってください。
 自分で自分を愛してやることが出来れば、他人に愛を与えられなくても、しあわせになることが出来ます。
 しかも恋愛と違って、自分の努力がそのまましあわせに繋がります。
 愛してくれる人がいなくて寂しい思いをすることも、少なくなります。

 ええ、そんなこと、出来るわけないよ。
 そう思うかもしれません。私も、未だに完全に自分のことを認められるわけではありません。
 大事なのは、自分自身に興味を持つことです。別に「俺イケメンだわ〜」って思うまでになれとは思っていません(笑)。
 まず、「寂しい」という感情を処理するトレーニングから始めましょう。
 これをコントロールできるようになれば、それだけで、人生の80%くらい楽になります。

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