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20211116

小さい頃からずっとおばあちゃん子だった。

そのおばあちゃんが昨日他界した。

最後に会ったのは今年の夏。

いつも笑顔で迎えてくれて,別れ際には手を握る。

これがルーティンだった。

いつも「頼んだよ」と言われて,「頼まれた」と返す。

何を頼まれたのかは分からないけど,それは家族のことであったり,これからのことであったり,たくさんの愛情と意味を含んでいたように思う。

小学生のとき,亀山から松阪に引っ越したときから会う頻度が減った。

距離と時間がそうさせた。

それまでは毎週のように会っていたし,泊まりもしていた。

従兄弟と会うときは決まっておばあちゃんの家だった。

保育園に通っていたとき,毎日のように「北風小僧の寒太郎」という歌を一緒に歌った。

「日本昔ばなし」というアニメも毎週一緒に観た。

ときには「暴れん坊将軍」という僕にとっては面白くない番組も一緒に観た。

おばあちゃんの膝の上で観ていたと言われたけど,その記憶はあまりない。笑

他にもいろいろ覚えている。

例えば,小学校を越えて少し行くと散髪屋があった。

小さい頃はずっとそこで髪を切ってもらっていた。

帰り際に100円を貰えるのだけど,「100円ではジュースが買えない」と僕が言った話をずっと覚えていたらしく,僕が大きくなってからもおばあちゃんに会うと必ずその話が出た。

また,編み物が得意だったおばあちゃんに教わったりもした。

僕は全く上手にできなかったけど,おばあちゃんは魔法のように綺麗に編んだ。

小さい頃からずっと可愛がってもらってきた。

大きくなってからも孫としてずっと可愛がってもらってきた。

あまり大きな声では言えないけど,毎年お年玉をくれた。

社会人になってからも。笑

「もういいよ」「自分のために使って」と言っても,僕に使ってもらうのが一番幸せだと言った。

嬉しいけど,どんな表情をしたらいいのか困った。

そんなおばあちゃんが他界した。

連絡があったのは5時限目の授業が終わってすぐのことだった。

驚いた。

しかし,何となく,本当に何となくそんな日が遠くない気もしていた。

おばあちゃんは体調が良くなかった。

それでも,まだこれから検査をしつつ治療をして,少しずつ回復していくという話だった。

病院やヘルパーの世話になるのをどちらかと言えば嫌う性格だった。笑

そして,人の世話になるのを遠慮する性格だった。

おじいちゃんが他界してからおばあちゃんは明らかに元気がなかったので,僕の母はそれから毎週様子を見に1時間かけておばあちゃんの家に通っていた。

「あんたの顔を見ると元気になるから時間があるときに会いに行ってあげて」

母によく言われた。

自慢じゃないけど,僕もそう思っていた。

僕と会った後のおばあちゃんは多少しんどいことでも頑張ると聞いていた。

近日中に母と一緒におばあちゃんを訪ねようと話をしていた。

早速今週末そうしようと思っていた。

しかし,少しばかり遅かった。

思い返せば,会いに行ける日はたくさんあったのかもしれない。

仕事や休息。

家族や行事。

忙しいという理由で少しの遠出をしなかった。

んーーー。

そう思うとやりきれないので,やっぱり忙しかったのだと思うことにする。

人間はいつか必ず死ぬ。

誰でも知っているし,みんなに平等にその日が訪れる。

それでも,辛いものは辛いし,悲しいものは悲しい。

忘れたくないことを残すのに,インターネットは本当に便利だ。

手紙はなくすし,記憶は消えていく。

しかし,この記事は消えない。

大好きだったおばあちゃん。

今日。

明日。

明後日。

これまで会えなかった分も含めて。

会いに行きます。

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