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Newコタまり第18号「バケツの水」

久々に昔の音楽データをあさっていたら、Buono!の曲データがありました。本当に久しぶりに聞いた…。
ヲタとして現場に出た、おそらく最後のグループがBouno!だった気がします。
もしかしたら、この動画のライブ会場にいたかもしれない…。
ちなみに当時は鈴木愛理押しでした。
今もたまにテレビに愛理が出ると反応してしまいます(笑)

この曲は少し古いんですが、歌詞が秀逸です。
あまりにマイナーで、知っている人はほとんどいないかもしれまんが…。

涙っていうのは人間の感情表現の中でも
本当に不思議な、あいまいなものですよね。
悲しい時に泣くし、
うれしい時にも泣くし、
くやしい時にも泣くし、
さみしい時にも泣くし…。

この曲聴いて「すげ〜」って思ったんですよね。
例えがね。面白いですよね。
そうだなぁ…。って。感心しました。
おそるべしハロプロ(笑)

バケツの水があふれそう
あたしのココロの中の
目が覚めてシャワーを浴びて
また一日頑張って暮らす

ココロに一つずつみんな
それを持って生きてるらしい
悲しいこと うれしいこと
うれしいほど空しいこと etc
滴になって落ちてくる

All right
今日は少しだけ
水をこぼして軽くしました

Buono!『バケツの水』

この比喩はありがちな、
平凡なものだと思うんですけど、
どんな人でも、いろいろなものを抱えながら生きている。
その抱えているものが「バケツ」なのかなぁ。そう感じます。

バケツの水は
毎日捨てた方がいいみたいです
なのにダメなこのあたしは
ついついいっぱいにしてしまって
人生を台無しにしてる

Oh yeah
あたしの胸のバケツは
きっと小さめだろう

Buono!『バケツの水』

わたしは、多分みんなが持っているバケツの大きさは
たいして変わらないんじゃないかな。と思っています。

小さいころは本当によく泣きますよね。
周りの、本当にちょっとした環境の変化も、
赤ちゃんにとったら大問題です。
水がたまるのが早いのは、ほんのちょっとしたことに、
反応をしていくからだと思います。

だんだん歳を重ねて、細かいことに反応しなくなった、
というよりはいちいち反応してられなくなった、
というのが正しいんでしょうか…?

こぼさなくて済むように、うまくかわすんですよね。
たまるのが遅くなるから、大きくなったような気がする。
でも実際はあんまり大きくなってない。

でもたまに、やっぱ無理でこぼしちゃうんですよ。
夜中にこそっと一人で泣いちゃったりする。

だからって人生台無しかと言えば、
必ずしもそうではないような気がしています。
こぼすからこそ、はじめて何かがわかるような気がするんです。

ナイテ×ナイテ ナイテ×ナイテ
ココロに水がたまって
ワラッテ×ワラッテ ワラッテ×ワラッテ
あふれちゃいそうになって
きみは大丈夫ですか
こんなきれいな月夜は…

きみは大丈夫ですか
星も応援してるけど

きみはダイジョウブですか
独りぼっちでも

Buono!『バケツの水』

ここで、「きみ」が出てきます。
自分で精一杯なはずなのに、「きみ」が出てきます。

こんな辛い、淋しい、悲しい気持ちになっている時っていうのは、
人間は自分のことしか考えないんだよなぁ…
自分がなんだか悲劇のヒロインみたいになって、
なんかそこにはまっていくんだよなぁ…。

でも、「きみ」がいるから、
なんだかがんばれるんだよなぁ…。

「きみ」ってどこにいるんだろ?
何にがんばってるんだろ?

そんなことを考えながら、
バケツの水を今日もまた、こっそりとこぼします。

バケツの大きさ探しは、
きみ探しであって、
自分探しかもしれませんね。


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