前回記事こぼれ話 - 小沢健二と小山田圭吾
前回の記事『90年代の空気、鬼畜ブーム余波としての無邪気さ』のこぼれ話です。
フリッパーズギター・小沢健二・Corneliusファンである私が彼らに触れないのは不自然かと思いつつも、焦点がボケるし冗長かと書かなかったので。
岡崎京子が『リバーズ・エッジ』で「平坦な戦場で僕らが生き延びること」を引用していることを書いたが、この界隈・この時代でのもうひとつの「戦場」表現は、言うまでもなく小沢健二『戦場のボーイズ・ライフ』だ。リリースは95年。
この時あの時代、戦場であり暗闇だったから、このメッセージを届けたのだ。
信じたい、信じよう、信じて!と。
当時のめちゃくちゃ明るく親しみやすいアイドル然とした振る舞いは、あるいは小沢健二にとって、大衆へ本質を届けるためのギミックだったのかもしれない。
悪趣味/鬼畜系の人たちが、ギミックとしてクソを利用したのと真逆のベクトルながら、"手法的には"同質だったのかもしれない。
暗闇の中、いずれの策が正しかったかなんて言うまでもない。
小山田問題について
私はいずれもリアタイで読んでいなかった。知ったのは問題になった遥か前だが、キッカケは例の告発ブログだった。フリッパーズ時代の2人の舐め腐ったクソガキ仕草は笑って受け入れていたが、あれには驚いたし引いた。
知ってからも彼の作品を変わらず愛聴しているが、モヤモヤ引っかかってはいたので、結果的に清算できて本人的にも良かったのではないかと思う。誠実に自分の言葉で謝罪したと思うし、荻上チキとの対談では真剣に学ぶ姿勢も伺えた(残念ながら掲載サイト閉鎖)
『いじめ紀行』の方に関しては、特に編集の村上清が常軌を逸していたと思う。他の回では「黒人のテクノDJなんていじめられてたに決まってる」とジェフ・ミルズに取材し、そんなことはなかったと聞いても食い下がり呆れられていて、完全にどうかしてた。小山田はその調子の村上清に求められたまま何も考えず受け答えたのではないかと。
小山田圭吾は求められたら「いっすよ〜」と屈託も躊躇もなく応じるサービス精神に似たものがあると思っている。それは外聞を気にしない性質が大きな要因で、一般的なサービス精神に溢れた人物像とは異なるも、彼なりのサービス精神はある。
先日もラジオで、スケッチ・ショー(細野晴臣×高橋幸宏)と関わったキッカケを「ラジオに呼ばれて、今度ギター弾いてよって言われたんです。放送中だったから断れなくて(意訳)」と発言していた。この外聞の気にしなさよ!
普通の大人なら「光栄にもラジオ放送中にお誘い頂いたんです。いや〜、驚きました」とか言う。外聞も建前もない点が小山田の面白さと魅力だと私は思う。
英語圏のスラングにIdgf(I don’t give a fuck=私には関係ない、全然構わない)というのがある。小山田圭吾はいつもこういう顔をしている。こうした外聞を全く気にしない性質も関係していると思う。
いずれにせよ、何も考えず語った小山田圭吾も、求めた編集も掲載を決定した編集長も、全員が無自覚過ぎたしどうかしてる。リアタイで読んだ人もきっと多くが引いたと思うし、これは悪趣味/鬼畜ブームの余波なのか私には判断しきれない。
ただ、小山田問題は恣意的に編集されたブログ内容を大手メディアまでもがそのまま報じたことによるインフォデミックだった側面もあることは忘れてはならないと思う。
そんなのは関係ない、いじめがあったのも事実なのだから決して許さないしそういうやつの作品は拒否するという人の気持ちはもちろん理解できるが、その怒りをファンにまで向けるのは辞めて欲しい。
その他
、、、、、、勘弁してください。。
故人をコンテンツ化して小銭せしめるって、、
しかも訪問販売しにくるって……
私が書いたことなんも伝わらなかったですね…
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