神の鬼気、45歳
天神に行った。所用済ませてドトールでアイスコーヒー飲みながら三島由紀夫『レター教室』読む。佳境でグイグイ面白い。隣の20代後半位の女性はiQOS吸いながらYouTubeをずっと神妙な面持ちで観てた。女性が何やら語っている動画。
本日のメインイベント『楳図かずお大美術展』に向かう。三越の9階までエスカレーターで登った。平日の昼間とはいえあまりに閑散としてて驚いたが、9階に着いてもっと驚いた。なんと目の前はDAISOだった。三越だよ!?三越の最上階の結構な面積がDAISOで、しかもたくさんの人で賑わっている。他の階では店員しか見えなかったのに。色々過ぎる思いを振り払って展示場へ。
楳図かずおという神の圧巻の所業に何度も何度も泣きそうになった。『わたしは真悟』という作品は私の中でとりわけ特別な存在で、その続編の生原稿という新作絵画作品を101点も観れるなんて、それだけでも恐悦至極なのに、どれもこれも作品として素晴らしいし物語も最高ときたら込み上げもする。画面から狂気に近い圧がほとばしり鬼気迫る作品を久しぶりに観た。まだまだ元気そうだ。それらの素描(鉛筆画)もまた素晴らしかった。
すごい作品を観るとへろへろになるので、這う這うの体でエクセルシオールへ。アイスコーヒー飲みつつ買ったポストカードをニヤニヤ眺め、夫に自慢LINE。今週末に一緒に行くことに。あんなん何回観ても良いというより、1回冷静になって改めて観たいからむしろ喜んで行く。
『レター教室』の続きを読み、読了。隣は30代前半位の女性で、ノーパソ開いて仕事の通話をしてた。AirPodsケースがスワロフスキーでびっしり覆われてギラギラだった。本当はゴダールの遺作も観たかったのだけど、神・楳図が凄すぎてキャパオーバーだったから帰る。帰りのバスで『レター教室』の良かったとこぱらぱら振り返って感慨に浸る。ハッと前方を見たら、降りるべきバス停で乗客が降り切るところだったから慌てて立ち上がった。過集中人間あるあるの一瞬のタイムリープ。
帰宅して猫にご飯あげてから楳図展の図録を開く。絵画全点掲載が嬉しい。椹木野衣のテキストが非常に良い。予想だにしていなかった三島由紀夫との接点に驚く。
『レター教室』は非常に面白いし示唆に富み自戒すべき面多々あるのだけれど、40代になって読むと全然違う肌触りだ。執筆年を調べると三島は当時41歳。三島より歳上になった女として。人にも拠るとは思うが、年配女は若い女に別段嫉妬しないのだ。若い頃は、おばさんは嫉妬すると思っていた。それは己の若さに酔いしれ、活用し、驕っていたから。こんなもの失ったら惜しいよねと思っていた。ところが実際おばさんになってみると、驕っていた当時の勘違い無敵っぷりが恥ずかしいし、若さで得ていたものにはもはや興味がないし、充分味わいもしたので惜しくはないのだ。
若く美しい女に惹かれる気持ちがある人(三島にはある)にとっては意外なのだろうけど、女にとっては、若さと美で得られるものなんて驕り昂らせてくれる一時の快楽程度のものだ。享楽的な夢、世界を掌握したかのような幻想。それは若さと同様に儚く、醒めてみればどうということもない。微笑んで媚態を示したら思い通りになるなんて、惜しいどころかもうしたくない。今なら若さという虚飾なしに正当な評価も得られるのだ。今に不満がないならば、後悔はないのと同じこと。
私は三島由紀夫は、割腹で本懐を遂げて満たされたとは思えない。
自決時45歳。『レター教室』の中年2人も45歳。昭和天皇の人間宣言も45歳。三島に大きな影響を与えた戦後GHQ、マッカーサーは「欧米が成熟した大人45歳としたら、日本は12歳」と語った。なんと楳図かずおは、このマッカーサーの言葉から「14歳」を重要視したという。
欧米化を拒否していた三島は、楳図作品の子供たちのように大人になることも拒否したのかもしれないと思った。その潔癖さから。三島の憲法9条撤廃と自衛隊国軍化思想は、現行法では自衛隊が違憲であり、法を破らざるを得ないことの思想的文化的社会的弊害も考えていたと思う。誤魔化しを許さぬ毅然とした高潔さ。自決前、子供たちに毎年クリスマスプレゼントが届くよう手配し、子供雑誌の定期購読料も前払いしていたというのも、子供時代への思いを示唆する気がする。
子供や若い女性に比べたら、45歳以降は美しくはない。けれども年数を経てしか成しえないこともある。101点の新作を描き終えた時の楳図かずおは85歳。楳図の新作は、大人たちを幼年期へ引き戻してから解き放ってくれるような作品だった。
トップ画像は『楳図かずお大美術展』図録より
ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館 031 ひとりごと