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修験道

神仏を学ぶ中で、今年はとりわけ修験道を深く学んでいる。

日本固来の信仰は、自然信仰だと感じている。
聖徳太子が仏教を取り入れて、土着の信仰と仏教が融合する中で生まれた修験道。「道」が付くところが日本らしいなと思う。

明治新政府の神仏判然令に基づき、神道と仏教が切り離されたが、
それまで1400年もの間、神仏習合という形で日本に浸透していた。

日本人は信仰が無いとか、つまみ食いだとか、一般的には言われがちなのかもしれないけど、
神仏習合の形は日本人の生活に根差した自然な形で、
神道と仏教の目的を分けて、上手く付き合っていたんだろうと感じる。

いいバランスで保たれていたものが、
ある種「こうあるべき」という概念の台頭によって、均衡が崩れた。

崩れた均衡を保たせるために強制すると、余計大きな歪みを生む。

社会全体も、小さなコミュニティも、一個人も、そんな風。

ロカプルシャサーンミャ。
宇宙も人間も似ている。

あれ、随分と話の筋がズレたなぁ。

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