見出し画像

音楽


こんにちは、はなびです。
みなさんは、好きなアーティストや、好きな曲はありますか。
私にはたくさんあります。本当に、たくさん。
昨日、懐かしい曲を聴いて、とてもこれは言葉にしておきたいと思ったので今日は音楽のお話をします。

私は幼い頃から、音楽に囲まれていました。
車の中では母が聴く洋楽が流れ、幼稚園ではピアニカから始まりギターに、そして小学校に上がる頃にはピアノにも夢中になりました。

音楽が、楽器が大好きでした。
私の親は楽器をしたことはほとんどありませんでしたが、わたしはなぜかどうしても習わせてほしいと、何度も懇願するような子供でした。しまいには幼稚園の先生から、この子を習わせてあげてくださいと言われてしまうほど。

少しばかり器用だったわたしは、少しやれば形になり、なんとなく弾けてしまう楽器たちに熱しては冷め、そして熱し、また冷め、を繰り返しました。それは今でも変わりません。

楽器もわたしの心を支えてくれました。たくさんの場面で、落ち込んだわたしの心を和ませてくれました。

でも、わたしには音楽が、特にアーティストの作る歌や、書く歌詞にさらにたくさん救われました。

わたしが音楽に魅了されたのは10歳の頃でした。
その頃、わたしの親は夫婦喧嘩が絶えませんでした。金銭関係の話から、お互いの態度の話、わたしの話まで、全ての話が喧嘩の種でした。それも、全て聞いていました。

わたしは私立小学校に通っていて、私立中学校の受験を控えていた小学5年生の頃でした。

側から見れば、良いとこの育ちなんだろうと、そう見えるかもしれません。実際は、違いました。その頃の家計は火の車。夫婦仲も険悪。子どもも子どもで、小学校にうまく馴染めていない。悲惨ですね。

そんな中、親の喧嘩を聞きたくなくて、TSUTAYAでロックバンドのCDを借りてきて、聴き漁りました。
毎週日曜日、10個ずつ借りるのが恒例でした。

そして聴き漁りながら、塾の宿題をやっていました。最初はただ耳を塞ぎたいだけの煩い音楽でした。でも聴いていくうちに、このやりきれない気持ちが、苛立ちが、悲しみが、寂しさが、この曲の中に入っている気がしたのです。

ひとりじゃないんだ、というか。
こんな気持ちを抱えていたのはわたしだけじゃなかった。
なんとも言い切れない、悔しさ、悲しさ、怒り、やるせなさ、そのようなぐるぐるした、暗い渦のようなものが、この音楽の中で受け入れられた気がしました。

家には居場所がなかった。そして学校にも。

幸いなことに、塾には居場所がありました。
だから勉強できたのかもしれません。無事中学受験に合格できたのも、そのおかげだと思います。

でも幼いわたしには、ほとんどのコミュニティから疎外されているようなこの気持ちは、音楽で埋めていました。

この気持ちをわたしは昨日の夜、RADWIMPSの「おしゃかしゃま」を聴いて思い出しました。

ワンオクから始まり、RADWIMPSに熱を上げていたあの頃。1番好きだったのは、「有心論」でした。あの曲を初めて聴いた時の衝撃は忘れられません。心が限界だったあの頃、「自分の中の嫌いなところ 自分の中の好きなところ どっちが多いかもう分かってて悲しくなった」を聴いて、涙が溢れたことを覚えています。RADWIMPSのあの歌詞ひとつひとつの心に触れる感じ、心から出してる声、気持ちが自分の奥にずしんと響くあの感じが大好きで、この曲から、たくさんのRADWIMPSの曲から、何度も何度も救われました。

闇を抱えて生きてきたわたしにとって、その闇をはっきりと、自分の言葉にして出せるようになったのはこの頃だった気がします。音楽によって、その言葉によって、闇を持つ自分を受け入れられるようになりました。自分はおかしくない、正しくあろうとしなくていいんだと許せた時でした。

今日もわたしは谷底に落ちていますが、だからこそ、わたしの昔の闇のことを思い出せたのだと思います。これもきっと巡り合わせなんだな、なんて。

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?