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さんざん言い尽くされているけれど

たぶん現代人忙しすぎるんだと思う。
1日24時間という宇宙の営みは変わらないのに、個人が担う役割が多様化して数も増えているからシンプルにみんなキャパオーバー。

時短とかタイパとかそういう言葉が生まれてる時点でそうなんじゃないの?

1日の中で、ひとりの人間の中での役柄を何度もコロコロ変えないといけない(もしくは変えていきたい?)のに、相変わらず労働時間も減らず休日も増えない。いろんな技術が発達したのはいいけれど、その分ひとりひとりに求められる成果もでっかくなった。悪循環よね?

広告業界の人間なのでマス媒体やSNSには敏感に生きているが、昨今のショート動画の流行を考察するに、短編でないと見てもらえないという社会的背景や心理的背景があるのなら、それはヒトとしての心身の能力を超えた生活を強いられてるせいなのではとか考えてしまう。

素早くメッセージを返さないと切れてしまう縁とか、もはや異常じゃない?急にいにしえの話を持ち出すけど、もともと日本人は和歌のやり取りでコミュニケーションしてたんでしょう?従者に文を持たせて、いつ来るかしらーってやってたんでしょう?
そこから郵便とかに発展して、やがて電話/ビデオ通話、ポケベルとかケータイのメールとか、コミュニケーションのリアルタイム性が増していったと。知らんけど。そうなるとコミュニケーションに割く労力や時間が増えて、どんどん縛られる生活になっていく。

↑にいち早く気づいた人がデジタルデトックスとか丁寧な暮らしとか言い始めたのかもしれないが、別にそれって「丁寧な」というほどのものではなく、焦燥感に掻き立てられず、生活の1つ1つの動作において自分と向き合って素直に生きることなのではないかと解釈しているので、こんなワードが生まれる時点でみんな忙しすぎ。丁寧さが崇められるなんてどういうことよ、と思う。
起床から就寝まで全速力で駆け抜けるしかない生活は異常。ある程度は肩の力抜いて生きていたい。

何が言いたいかわかんなくなった。疲れた。寝る。