地下の小部屋の鳥人間と顔のない人間

じぶんの中にある深い場所とつながることで、限りのないエネルギーの回路が開かれる、もしそのような視点を取るとしたら、その深い場所へのアクセス方法を探るとするなら、それはわりと小さな、微細なことであるように思う。
前提として、生活のやり方をそちらに向ける試みはおそらく必要なのだが、そうたとえば、なにを食べるのか、なにを着るのか、どのようなものをどれくらい持つのか、ものをどこにどんなふうに置くのか、掃除をどの程度するのかなど、調整を施すところは必要で、その上で、の話なのだけど、わたしの場合は「寝る時にふとんを頭からすっぽりとかぶる」ことがその場所へのチケットになっていることに気づいた。気づいたもなにも、幼い頃はよく知っていて、その儀式を通じて秘密の回路の扉を自由に行き来していたはずなのだけど、大人のわたしはすっかり忘れている。わたしの意識の広い範囲を司っている、神と呼ぶのか、天使と呼ぶのか、もう一人の自分と呼ぶのか、その人に会いたいと、目覚めてしまった昨夜午前3時に本気で願った。目を閉じて扉を探していると、ふとんをがばっとかぶる動作を自然にしている。まぶたの裏に浮かんだ、どこだかわからない都市の裏道で、側溝をふさぐ格子状の鉄のふたを開けて、梯子を下りると、地下の小部屋にたどりつくことができた。壁がれんがでできている。紙のからだと球形のボタンの目を持つ鳥のような人間と、茶色のチェックのツイードのジャケットとズボンを着た顔の見えない人間に会うことができた。ことばを交わしたかどうかわからない。彼らはその小部屋にいるだけで、多くの情報は持っていない。目指すその人にはまだ会えないし、その先に進み方もわからない。今はまだそこまで。だけどわたしは必ず会いにいく。その人のことをなんと呼べばいいのかまだわからないその人に会い、対峙し、再び手を取り合えるかどうか、約束をまた結んでもらえるかどうか、尋ねなければならない。朝目覚め、地下室を後にし、色とりどりの現実の中が展開する中で、それにふさわしい自分であろうとすることが、わたしのいまいちばんのミッションなのだろう。

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