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自分には価値がないと思うあなたへ

「自分の価値って何だろう?」

このテーマは大人になるにつれて悩むテーマかなと思います。


「会社員として」「妻として」「女として」「グループの一員として」何かしら貢献しないと、属しているコミュニティや他人から、自分の価値を認めてもらえない。

コミュニティの中で認めてもらうために、周りから必要とされる役割を探したり、既に認められている人の真似をしてみる。


例えば、会社員として認められたいなら、上司が求めていそうな役割を探して価値提供したり、女として認められたいなら、モテる女の振る舞いを真似してみたり。

このようなことって割と日常で起こっていると思います。意識していても、無意識でも。


私も会社員として働いていたとき、上司が求めている役割に撤し、あくせく頑張っていました。


ただ、人並み程度にはアウトプットが出せますが、突き抜けた価値提供はできなかった。


どれだけ真面目に頑張ってもそこそこの成果で、私には大した力はないし何かが足りていないと思っていました。
自分の価値を大して見出せなかったのです。



恋愛や人間関係についても同じでした。
私はそこそこの人間で、何かが足りていないと思っていたので、そのままの自分でいることに抵抗がありました。
相手に何か与えないと嫌われるかもしれない、相手にとって必要な人であるために努力をする、そういうスタンスでいたのです。


でも、過去の私の生き方はどこか苦しさがあって。
なぜかというと、ありのままの自分を否定する前提で生きていたから。


そもそも「私はそこそこの人間で何かが足りていない」、「そのままの自分では価値提供できない」が大嘘なんです。


唯一足りていないとするならば、「自分の本来の役割をただ知らないだけ」なんです。


本来の役割とはつまり、

自分が努力しなくても、苦しい思いをしなくても出来てしまうこと。
心地よさや楽しさのもと、軽やかにできること。


この中に、自分の役割が隠されています。
無意識に出来ていると、自分の中では大したことない、と思いがちですが、他人からするととってもすごいことだったりします。


自分が心地良くできることを自分の役割として全うすれば、突き抜けた価値提供ができます。


逆に、苦手なことは頑張ってもそこそこの成果しか得られないので、得意な人に任せる方が良い。
みんなそれぞれ得意分野が異なり、違うからこそ凸凹で支え合うことができる。

苦手なことは出来ないからダメなのではなく、
出来ないことは誰かにとっての得意なことなので、出来ないことを無理矢理頑張るほど、得意な人の役割を奪うことになります。


つまり、価値提供とは、あくせく頑張らなくても自分の好きや得意を知り好きなことを無理なく楽しむだけで、軽やかに出来てしまうのだと思います。


何が好きで何が嫌いなのか、自分自身のことを深く知り、自分を最大限に活かせる環境に身を置く。
あとは、何も偽らず、そのままの自分で生きるだけで勝手に価値提供できます。


わかりやすく仕事で例えましたが、究極のことを言うと「私達は存在していること」自体が価値提供です。


心地良く生きて、まずは自分のことを幸せにして笑って生きること。
自分への愛情が溢れた分だけ他者、社会に広がり、それが勝手に価値提供になります。


だから、何者かでない自分を否定したり、
自分の存在意義に疑問を持ったりしないでください。

ただ、あなたのままでそこにいることが、最大級の価値提供です。


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