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睡の花、そして、瓜南直子。

毎年、蓮を見に行く。
歩いて10分ちょっと、高校のグラウンドの傍らに、蓮池がふたつある。ひとつの池は、白い花ばかり。もうひとつは、赤ばかり。
今年はちょっと出遅れて、7月の半ばに行ったらば、白い花はもうほとんど終わっていて、赤い方は青々とした茎と葉が丈高く繁っていた。
池の端の木陰にはベンチがあって、水辺の風はさらさら涼しい。

ベンチでゆっくり景色を眺めたり、本を読んだりするミメオをよそに、わたしはカメラを片手に池のまわりをうろうろする。
傘のような大きな葉を従えて、天を仰ぐ大輪の花。
空を映す水面に浮かぶ、小さな船みたいな花びら。
いつも同じような写真になってしまう、そう思いつつもカメラを向けて、何枚も撮る。何枚も何枚も撮ったところでいつも何か違うって思うんだよね、と胸の中で呟きながら、何枚も撮る。

そうして撮った写真を、帰ってパソコンに落として見ると。
ん、なんだこれ。今までと違う、ふしぎな花の画像が並ぶ。どうやらカメラの設定が、いつのまにか「水彩画風」モードになっていたらしい。

水彩画ではなく、水彩画風。絵の具を塗ったかのように見えるのは、つまり細部がつぶれているってことで、本当の「絵」とはやっぱり違う。ううむ、と、画像加工アプリであれやこれやと試みる。絵が下手なわたしでも、こういうツールのおかげで、思い描く画像に近づけていけるのは、ちょっと楽しい。

でもやっぱり。本当に自分の手でこの花を描けたら、どんなにいいだろう。

そういえば。カナンちゃんは、蓮の花をよく描いていた。今まで日本画家・瓜南直子といえば、あの白い十字架のような「どくだみ」の花をすぐに思い浮かべていたけれど、でも確か、蓮の花も好きだと言っていた。
そうだった。わたしは彼女が描く蓮の絵が、大好きだった。

なごりの夢にはさまれた頁。 「月化粧」M8
こどもたちよ。わたしの姿をおぼえておけ。 「夏のゆくえ」P8

日本画家・瓜南直子が描く「兎神国」に咲く蓮は、名残の夢の底や、こちらとあちらの狭間に、ぽっかりと灯るように花開く。

やっぱり本物の絵はすごい。

ミメイちゃん、こっち、こっち。
手を引かれるようにして、WEBを巡ってたくさんの蓮を見た。
夏祭りのあとにふいに揺らめく鬼火のように、儚く光るあやかしの花。

そう、夏の盛り。8月15日はカナンちゃんの誕生日。わたしの誕生日が14日。1日違いと知ったとき、それはもう驚いた。子どもの頃、つまらなかったよね。友だちはみんな田舎や旅行へ行ってしまって、お誕生日会なんて出来なくて。「お盆の誕生日」の淋しさをふたりで嘆いて笑いあった。

時々、思う。どうしてわたし達は知り合ったのかな、って。
会うたびに、作品である本や原稿や団扇や時計を「ミメイちゃん、これあげる」って、どうしてあんなに気前よくプレゼントしてくれたのかなって。
そうして、ほんの数年で、どうして突然いなくなってしまったのか。

考えたところで、せんないことだけれど。
ただ、確かなのは、忘れない、ということだ。これからも、きっと、ずっと。忘れられないようなことを、たくさん残してくれたから。短い月日のあいだに、胸に残る言葉や表情をいくつももらった。

だから折に触れ、こうして言葉にしたくなる。美術のことはよく分からないけど、ほんの少しでも日本画家・瓜南直子のことを知ってもらったり、沢山の人に愛されたカナンちゃんのこと、思い出してほしくなる。

ささやかな、橋渡し。
もしかしたら、それが、わたしの役目なのかも。
出会った理由なのかも。
ならば元気でいなくては。
この先も、楽しく「お務め」できるよう。

ふふふ、と笑って献杯しながら、そんなことを思った昨日、今日。
おめでとう。
お誕生日、おめでとう。

https://www.facebook.com/kanannaokoofficial


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