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あの人は父か、恋人か、もしくはどれでもない何か

学生の頃、憧れている人がいた。 彼は私より何歳か年上でとても頭が良く、私が学びたいことに長けていて、将来の理想の姿そのものに見えた。
彼とはメッセンジャーで連絡をよくとっていた。話す内容は色々で、些細なことから大きなテーマまで幅広く、時間を気にせず好きなタイミングで無邪気に話し合うような状態だった。
相手はどう思っていたかは分からないけれど、私は頭の良く機転が利く人との会話はこんなに面白いんだと初めて教えてもらった気持ちでいた。

そんな刺激的な時間を過ごす一方で、その当時の私は家族のことでとても疲れていた。落ち着くはずの家の中で、どうにも平静な気持ちでいられない。
ある時、そんな悩みを彼に思いがけず吐露してしまった日があった。誰にも触れられないようにと気を張っていたにも関わらず弱音を吐いてしまったことに慌てて、私は思わずこんなことを言った。
「父でも兄でも彼氏でもないのに、こんな個人的な話をしてごめんなさい」
すると彼はキョトンとした顔でこう返した。
「仮に僕が彼氏だったら個人的な話を必ず打ち明けられるの?」

こんなことを思い出したのはAmazonオリジナルドラマ「モダン・ラブ」エピソード6を観たからだ。
幼少期に父を亡くした主人公マデリン(右)は、職場の上司ピーター(左)に父の面影を重ねて親しくする。ピーターはとても優しく彼女に接し、2人の時間を重ねていくが、あるきっかけでピーターのマデリンへ抱いていたものは、彼女の思い(父親の面影)とは違うものだったと気づいてしまう、という物語。 関係を深めながらもお互い都合の良く相手の気持を解釈し、マデリンは父らしい関係を求め、ピーターは恋人のような関係を望んでいた……というオチだ。

私の話に戻るが、冒頭の親しくしていた彼は突然音信不通になり、それ以降ぱったりと連絡がとれなくなった。もちろん、この先もう会うこともできなかった。

そのことに気づいた時、ショックで「本当に彼氏だったら良かったのかな」と思ったりした。なぜ彼氏を望んだかといえば、彼氏なら突然の別れではなく”彼氏らしい別れ方”ができたかもしれないという望みからだったが、しばらく考え、例え彼氏でもそんな保証はないんだと気がついて望むのをやめた。であれば、ただ仲が良いだけの関係だったから途切れるのも簡単だったのかもしれない。彼氏でなくとも”兄かまたは父のような”関係だったら良かったのかなと思い直していたが、それも間違っていたのだと、この「モダン・ラブ」のエピソードを見て悟った。

兄弟、親友、恋人、親、知人、友人……相手が自分にとってどんな人間なのかを表す言葉は沢山ある。彼に対してどんな関係性の言葉を選んだらいいんだろう?と考えたことがあったが、その私の考え方自体がとても一方的なものだった。あの当時、彼は何を考えていたんだろう。私は自分の楽しさにかまけて、彼の気持ちや思いを何も見ていなかったと思う。とても未熟で恥ずかしい話だ。
未熟だった私は相手が自分にとって「何なのか、どんな関係と呼んだらいいのか」を決めたがっていた。多分、それ自体が相手を見つめていない”一方的な関係性の名前探し”だったんだろう。
相手を大切にしながら、親しくしたり、感謝しあったり。そんな小さなことを積み重ねた先に、実はまだ何の名前がついていない関係が待っていることだって、あるのかもしれない。


Photo by Papodecinema


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