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本能的に旅人 第十八話

チュークと時の流れ

 

長く濃い旅も、ついに最後の寄港地。

船はミクロネシア連邦のひとつである、チューク諸島に到着した。

港では、青地にヤシの木がデザインされたチューク州旗が生温かな風に吹かれてはためいている。

 

チュークはたくさんの島々で構成されているが、もともとは一つの大きな火山島だった。

数千年の時を経て、島の大部分が海底に沈んだ中、山頂付近が残ったのが今の島々。

地球というのは大きく見ると丸っぽいのかもしれないが、深い海底から高い山々まで、本当はとてもでこぼこしている星だ。

 

チュークは第一次世界大戦後、日本統治下にあったから、国民の二割は日本の血をひいていて、日本語由来の単語あったり、日本の名前を持つチューク人も多い。

 

サアヤと第二次世界大戦の時に沈んだ飛行機や船をシュノーケルで見に行くため、小さい船に乗り換えて沈船の現場まで真っ青な海の上を進みゆく。

「安全第一! 立ち上がらないで」

操縦している褐色肌の男性が説明してくれた。

いかにも海の男、といった感じで、筋肉質な腕は血管が浮き出ていてたくましい。
少し眉間にしわを寄せながら真剣な表情でまっすぐ行く先を見つめる姿はシビれる。

小さい船は波の揺れをもろに受けて、バシャンバシャンと水面を飛び跳ねながら波しぶきをあげて進んで行く。

海水はまったく濁りがなく、自分たちがこの船に乗ることで透明な海を汚しているかもしれないと思うと心が痛んだ。

生きている限り環境には迷惑をかけてしまうが、本当に、最小限にしたい。

 

ほどなくして、小船は現場に着いた。

私は自然界の生き物たちの住処に入らせてもらうという謙虚な気持ちで、そっと海に入った。

透き通るようにきれいな水の中を、シュノーケルで覗き込む。

海底で戦闘船は、苔のような短い草を表面に生やしてしっとりと沈んでいる。海水の中で時間が止まっているかのように見えるが、苔の成長があるのは何十年も時が経っているあかしだ。

魚たちは沈船の間を縫って優雅に泳いでいる。

古びた飛行機からは、サンゴがにょきにょきと生えている。

昔沈んだ戦闘機の周りで、今は命がいきいきと暮らしている。

光が彩る海の底。

水面が反射して、海の中に小さな光るクリスタルがたくさん見える。

 

一度海面から顔を出して息を吸っていると、サアヤがそばに来て言った。

「不思議な時の流れを見ているみたい。自分は変わっていないつもりでも、時は経ち時代は必ず変わっていく。気がつかないくらい少しずつ味が出たりしている様子を表したアート作品みたい」

「ほんと。変わらないものなんて、ないのかもしれないね」

再び潜ると、聞こえてくるのは自分の途切れない呼吸と、ときおり海底から出てくる泡の音だけ。

様々な色に変わる海水ときらきらの貝に囲まれ、なんだか息をして生きていること自体がとても不思議に思えてきた。

 

自分というものを体感したくて、少し泳いでみる。

動くと、自分の存在は実感しやすい。

体は、星が消滅するとき放出される炭素などの原子で作られている。何億年の時を経て、銀河系までたどり着いた原子たち。

地球も、動植物も私たちも、星の生まれ変わり。前からのつながりも後に続いていくつながりも、気が遠くなるほど長い。

宇宙の大きさに比べたら涙が出るくらい微塵な私たちだけど、体の中のDNAをつなげると、太陽系の端から端より長いという。

ちっぽけで偉大なこの命をさいごまで生き抜かなくては。毎日生きていること自体に祝福する価値があるこの体を使わせてもらって。

男前の船頭さんが操縦する小舟で陸に戻ったら、自分をないがしろにしないで大事に扱っていこう。

丸い地球の真ん中に浮かび空を仰ぎながら、命をくれた海の恵みに満ちたこのほしに、約束をするようにそう誓った。

 

 


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