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本能的に旅人 第十二話

さりげないチリ


船には美容室がない。
それなのに現地の地元っぽい髪形になる勇気がなくてどの国の美容室にも行っていなかったから、髪がだいぶ伸びてきて前髪が目に入りそうになってきた。

船には美容師のパッセンジャーも乗っていて、その内のひとりが、しのちゃんだ。

彼女にお願いして今度船で髪を切ってもらう。

しのちゃんは長いパーマの髪を器用に頭のてっぺんで結い上げていて、笑うと八重歯がのぞいてとてもチャーミング。

しゃべっている途中にまばたきをするとき、長くカールしたまつ気がゆっくりと上下する様子が美しい。
外国人にも日本人にも、男子にも女子にも人気だが、とても控えめな性格だ。

「私、山が好き。自転車が好き。アナログが好き」

そう教えてくれた。
好きなものがある人って素敵で無敵。

身近なもので、自分がその良さに気づいていないものの名前を挙げてくれるのを聞くとはっとする。
それは、その物の奥行きを初めて考えるとき。

しのちゃんは十九歳。
彼女の夢は青空美容室を開くこと。大きな木の下で、BGMは木の葉が揺れる音で、風が強すぎる日はお休みで。

木漏れ日を浴びながら、お客さんの髪を切っているところを想像するとわくわくする。
その夢を叶えたら、ぜひその開放的な美容院で髪を切ってもらいたい。
私にもあたらしい夢ができた。


お互い海を見るのが大好きで、約束もしていないのによくデッキで会う。

彼女がいるところには、よくイルカも一緒にいる。

珍しく髪をおろしているしのちゃんが長い髪を海風になびかせて言った。

「見て、イルカ。海って命がいっぱいつまっているね」

「確かに。船からみたら海は死だと思っていたけれど、海もまた命だね」

「うん、生命にあふれてるよ。地球にも、きっと宇宙にも」


真昼に見えていないだけで本当は常にあるたくさんの星々。

夜の吸い込まれそうに真っ黒な海にも生息している生き物たち。

どんなものにも奥行きがあり、見えている表面が全てではない。

かと言って、複雑でもない。

人間だけがいつでも主観を入れるから、物事の単純さと無関係になってしまう。

シンプルに生きたい。

そして熱いと疲れるから、温かく生きたい。

その理想のような人が、チリのバルパライソにいた。

しのちゃんとガイドブックで見つけた「青空美術館」を目指して、急な丘を登っていると、いつの間にかその男性は隣にいた。

彼の黒い肩かけかばんの中から、白とうす茶色の子猫の顔がのぞいている。男性は柔らかい表情でその子猫をつぶさないようにそっとなでながら会話をしていた。

「隣に外国のお嬢さんたちが歩いているよ」

子猫に私たちを紹介している。

ほら、と私たちに見せてくれた子猫の切ないくらいの小ささに、きゅんとしてほほが緩んだ。

しばらく同じ方向に歩いていたから、片言のスペイン語で聞いてみた。

「どこに行くのですか?」

「今、家に帰るところだよ」

「私たちは青空美術館のムセオ・デ・シエロ・アビエルトに向かっているんです」

「それはどこにあるんだい? 聞いたことがないけど、一緒に探してあげるよ」

男性は親切にそう言ってくれた。

それにしても地元の人も知らない、ガイドブックに載っているその場所とは一体どんなところなのか、そして本当にあるのか疑問に思いながら一緒に歩いていった。

親切な男性は道中さりげなく車道側を歩いてくれたり、できるだけ静かな道を選んでくれたりして、まるでイタリア映画に出てくる紳士のようだ。

「ここから街がきれいに見えるよ」

途中で何度も道を外れて、ほんとうに美しい景色を見せてもらった。

パステルカラーで描いたような家々が並んでいて、どこを切り取っても絵になる光景だ。

長い階段を上っていると、アセンソール(野外のエスカレーター)が見えてきた。

紳士が私たちの分もアセンソール代を払ってくれた。

便利な乗り物に乗って頂上に行くと、あった。目的の「美術館」。

それは文字通り、「青空の」美術館。

青空美術館とは、世界遺産にもなっているこの街並そのものを指していた。さっきから男性が何度も見せてくれていた、このカラフルな街の景色すべてのことだったのだ。

「ガイドブックと同じ景色! これ全部のことだったんだ~」

しのちゃんがきれいに笑って続けて言った。

「ハイジ、スペイン語でこれお礼のプレゼントですって伝えてくれない?」

彼女はかばんから小さい地球儀を取り出した。

「そんな素敵なものを持ち歩いていたの? 絶対喜ぶよ」

私が伝えると、紳士なおじさんは少し切ないような表情で眉毛の両端を下げて、「ムチャス・グラシアス(ありがとう)」と言って受け取ってくれ、大事そうに胸に当てている。

そんな顔をされると、なんだか別れがとても惜しくなってくる。

私は日本から持ってきていた竹とんぼを飛ばしてみせてから渡した。

紳士さんは子猫と一緒に肩掛けかばんに入っていた、チリの美しい景色が載った卓上カレンダーをくれた。

「これからの旅も、気をつけて。神のご加護を」

「アディオス! おじさんも、元気で」

現れたときと同じくらいのさりげなさで紳士おじさんはそっと去っていった。


その夜は、バルパライソから二時間のところにある、チリの首都、サンティアゴのホテルにしのちゃんと泊まることにした。
なんと嬉しいことにバスタブ付き!

船にはシャワーがあるけどバスタブはない。正確には、エコノミーの部屋にはバスタブがついてない。

二人とも、久しぶりに湯船に浸かることができるワクワクが止まらず、嬉しすぎて交代しながら二回ずつお風呂に入った。

キッチンもついていたから、夜ごはんは作ることにした。

何を作ろうか幸せな気持ちで話し合いながら、近くにあったスーパーに買い物に行く。

「外国の果物や野菜っていきいきしていて、大きくてカラフルだね」

しのちゃんがピーマンを買い物かごに入れながら言った。

「ほんと、力強いよね。そしてぴかぴか輝いてる」

私も感動して言った。

鶏肉のグリルやサーモンとたまねぎのバター焼き、パエーリャなど、二人にしては多すぎる量を手際よく作り、全部を食べきった。

「もうお腹パンパン」

「おいしかったねー!」

口々にそう言い合いながらのんびりソファで横になっていたのだが、その夜は満腹の上、歩き疲れもあっていつの間にか眠りにおちてしまっていた。

そして変な夢を見た。

高い丘の上に、白い十字架を背負ったキリストがいる。それは造り物ではなく生々しい人間の色をしていて、痩せた手首からは、ぽたりぽたりと血が滴り落ち、地面に血だまりを作っている。

痛々しいキリストをじっと見ていると、首を垂らしていたキリストがゆっくりと顔をあげて、私を凝視した。

逃げたかったが怖くて凍り付いてしまった。手も足も全く動いてくれない。

たまらず目を閉じると、自分の脈拍がドクン、ドクンと頭の中でこだまして、逃げようにも絶望的に動けない。

十字架に張り付けられたまま地面を滑るようにさらに近づいてきて、ついには皮膚の皺さえはっきりみえる程の距離になった。

恐る恐る見上げると、つりあがって光った目と視線が合い、凍り付いた。

もうだめだ、完全に終わった!

ふとキリストの背後を見ると崖になっている。渦巻く闇が大きく手招きするように私たちをずるずると引き込もうとする。私たちは共に崖から落ちる寸前のところで、見えない谷底から吹いてくる黒い風を受けている。

キリストは躊躇なく頭を後ろに倒し、私と真っ逆さまに谷底へ落ちゆく。

死ぬ! もうだめだ。地面が迫りくるが重力に抗えない。

ふと両親の顔や色々な場面が浮かび、全てが一気に良き思い出に昇華した。


バン!

地面に落ちるのは、一瞬のことに違いない。

鈍い音のあと体の感覚がなくなり、心には感謝だけがしんみりと残っている。天国に来てしまったから、全部のことが愛だったと思えているのだろうか。

やけに鮮明に見える水流の向こう岸では、子どものころ飼っていた犬たちが私を見つけてしっぽを振っている。

亡くなったおじいちゃんもいる。

目の前で優しく流れる大きな川をはさんだ向こう側の空気は虹色にかすみがかっていて皆の表情はうかがえない。ただきれいで、穏やかな場所だということは分かる。

どこか懐かしく思えるこの心地よい場所に戻ってこられたのは、きっと今まで頑張ってきたご褒美に違いない。

身体という名の入れ物からようやく脱出することができ、肉体の重さから解放された。

晴れ晴れするような思いで歩いてほとんど川の向こう岸に着くとき、おじいちゃんの顔がはっきり見えてきた。

おでこにあるホクロや焦げ茶色の目、しわしわの手までもがあまりにも生きていた頃と何ひとつ変わっていないから、おじいちゃんが生き返ったのか自分が死んだのか分からなくなっていた。

そう思ったとき目が覚め、体中びっしょり汗をかいてソファで寝ていた。


夢か……。

今までのことは終わって、これから全く新しい章がはじまるような気分。

実際、人は眠ると一度リセットされて、起きる時には真新しい自分になっているのではないか。

リアルな夢のように、現実もリアルだ。

物語のなかにはまり込みすぎると抜け出せない。死んだら「リアルな夢だった」と、目が覚めるのかもしれない。

そんなことを考えながらのそのそと起き上がり、汗だくの服を脱いでパジャマに着替える。

それからしのちゃんが使っていなかった方のベッドにもぐり込み、ふわふわの毛布に包まれ安心して眠りについた。


次の朝、しのちゃんが窓を開けながら言った。

「さわやか~」

「本当だね、空気が澄んでる。今日は、サンティアゴの旧市街を見てまわる?」

「そうだね! サンタルシアの丘にも行ってみたい」

サンタルシアの丘を目指して旧市街を歩く。

旧市街は下町のように人懐っこい。石畳の街はとても賑わっている。

フリーマーケットではお店の人たちが声をかけてくれ、私はラピスラズリのピアスを少し安くしてもらって買った。

アイス屋でレギュラーサイズを注文すると半端ない大きさで、はたしてラージはどのくらいなのかと想像した。

「リンダ(美人さん)」

花屋のダンディな男性が叫びながら花を二輪、手にもって走り寄ってきた。

陽気な大道芸のピエロたちは、「ボニータ(かわいこちゃん)」と言いながらハグをしてほしそうに私たちに満面の笑顔で両手を広げてくる。


南米音楽の路上ライブはすごく盛り上がっていて、リズミカルな音にのって見ているだけで楽しい気分が伝わってくる。

木箱のような太鼓や、弦の数が多いギター、吹き口が沢山ある笛など、南米の楽器は遊び心がいっぱいだ。

「この入り口はなんだろう?」

簡素な建物の入り口に入ってみると、映画館のチケット売り場のようなカウンターがある。

「何か売ってる。切符かな」

近づいてみると、そのカウンターの奥はトイレだった。

人々を観察していると、どうやらそのトイレに入るために、カウンターでお金を払っているようだ。そこで私たちも皆にならって、係の人に小銭を手渡しトイレに入った。

その時、台湾でもトイレットペーパーを使う分だけ販売してくれる人がいて、それを買ってからトイレに入らせてもらったことを思い出していた。

そして私たちが払っている日本の税金はちゃんと公共トイレ等、市民のために使われているのだなぁと、設置してくれる人や裏で書類作成するチームにまでしみじみと感謝の気持ちがわいてきた。


賑やかな旧市街を抜けると教会があった。

教会の前でたくさんの画家たちがこぞって作品を並べていた。それぞれ味のある個性がきらりと輝いている。

吸い込まれそうな宇宙のスプレー画の横に、人体のパーツばかりが描かれた絵が飾られていた。細部がよく観察されていて本物みたい。
ふくらはぎや肩のでっぱり部分がバラバラのところに配置されていたり、骨や筋がむき出しの描写もある。

古典的な宗教画を描く人もいた。中でも印象的だったのは「乞う絵」。絵に描かれた人は、祈っているようにも物乞いをしているようにも見え、祈ることは神に乞うことに似ているということに、改めて気づかされた。

欲望が満たされるように神の方を見て、恩恵を受けようと手のひらを顔の前で広げて祈る事も、生きたいという欲望を満たすために他人に手のひらを差し出して乞う行為も、どちらも「お願い」することだからだろうか。

旧市街をたくさん歩き回って、すでに棒のようになってきた足を引きずるようにして丘を登る。

きれいに舗装された道をゆっくり上っていくと、スモッグで曇ってきた空気の中にアンデス山脈が見えてきた。
やっと目的地だったサンタルシアの丘の上に着きそうだ。

「ハイジ、もうすぐ頂上だよ」

しのちゃんの励ましで、なんとか右左の足を順番に持ち上げていくと、ようやく山頂が見えてきた。

「ついた~。やったね~!」

山登りの達成感はいつでも、何ものにも代えがたい。


頂上には百ペソを入れると映る望遠鏡があり、興味本位でお金を入れて見渡し、ぞっとした。

なんと隣の山の上に、昨夜の悪夢でみたキリストが見えるのだ。

しのちゃんにも見てもらうと、それは間違いなく白い十字架だと言う。

今日見ることになっていたものが、昨日の夢に出てきたのだろうか。
でもなぜ?

私は怖くなって、ぼう然としながら下界を見ていると、誰かが大砲のようなものをこちらに向けているではないか。

「うぉ~!」

大砲を向けている人の隣にいた男が、低く響く大きな声で叫んだ。

バン!

銃声音が響き、一瞬何が起きたのか分からなくなった。

今、死んだ?

昨日の夢は、死の予告だったのだろうか。
ここはチリ。日本のような平和な治安じゃない。私は撃たれ死んだのか。

あれこれ考えていると、空から爆発による灰の粉が降ってきた。隣にいるしのちゃんは、キョトンとした顔で生きて立っている。という事は私もちゃんと二本足で立っているはず。

自分たちが生きていることを確認するとほっとして、その後ムッとして、近くにいた地元民に聞いてみた。

「今の銃声音は一体なんですか!」

「正午の合図だよ」

「え? あれ、毎日やっているの?」

「そう」

それを聞いて呆れたようなでも尊敬するような気持ちで、しのちゃんと顔を見合わせてポカンとした。

アンデスの山々を見渡して、深呼吸をして心を落ち着かせる。

ここからの眺めは、まるで神の視点だ。この丘の下には人間の世界がごちゃごちゃと広がってパトカーの音も聞こえて色々とめんどくさそうだが、その先には墨絵のように美しい山々が広がっている。

下界に戻ったら、すばらしい天界の景色があることも忘れてしまうのか。

ずっと神界に浸っていたかったけどずっとここにいるわけにもいかず、私たちは下の世界に戻るべく丘を下りた。

路上でホットドッグを食べ、人間界もそんなに悪くないなぁ、と思いなおした。

一瞬撃たれ死んだと思ったが、まだ動けている。生きているということは、何があってもまた始め直せるということ。

何があっても、必ず自分がついているから。

これからバスに乗って、港に向かう。疲れたねー、と話しながらバスを待っていると、お母さんに連れられて物乞いをしている七歳くらいの女の子が話しかけてきた。現地語であるスペイン語じゃない言葉が聞こえてきたからだろう。

「どこから来たの? 何をしに、ここに来たの?」

「日本から来たよ」

はじめの質問は良いが、二番目の素朴な質問に、なぜかすぐに答えることができなかった。

何をしにきたか。見に来ただけとは、この子に言えない。私はこの子に何かできるのだろう。きっと学校にも行っていないのだろう。

世界には六人に一人の子は学校に行くことができていないという事実もあるが、それを可哀そうと捉えると失礼なのでは? 何かをしてあげるというのは、こちらサイドの基準からの一方的な考え方だと思える。

それに誰かからの助けがないと生きていけないと思わせるのもだめだろう。ただお金をあげるのも何か違う気がする。

この宿題の答えは、日本に持ち帰ってじっくり考えるしかない。


「マニー、プリーズ」

やっぱりそう来たか。私は、どうすれば良いのだろう。

直感的に、持っていた小銭全部と、小指つけていた指輪を彼女の中指にはめて一緒にあげた。

しのちゃんはチリの貨幣何ペソかと、さっきお土産用に買っていた小さいキリスト像をその子に渡した。それは押しつけがましいものでは決してなく、さりげない優しさに後押しされたものだった。

女の子のかわいい質問も、しのちゃんの優しさも目に映るみんな、私の要素。たくさんの物事から選ばれて、同じ性質だから引き合い、同じ空間に居合わせている。あなたも私も同じ材料でできている証拠だ。


それから無事、様々な思いを乗せたバスは船の待つ港に到着した。


バルパライソの夜景は、電飾されたクリスマスツリーのよう。夜の十一時、船はおもちゃみたいな町を背に、満月と共に出発した。

次の寄港地、イースター島に向けて。

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