本能的に旅人 第十一話
光るアルゼンチン
次の寄港地であるアルゼンチンのウシュアイアに着くまでに、船の上からカラフルな街を何度も見た。
南半球では南に行く程寒くなるから、この辺りではジャケットを着ないとデッキに出られないほどだ。
アルゼンチンの東側は、お菓子の家が連なっているような街並みで、冷たい風で寒そうな分、人々が温かそう。
自分の町をパステルカラーで塗ることにしたアルゼンチンの人たちを想うと、眺めているだけでほっこりしてくる。
船は静かに早朝のアルゼンチンに着いた。
私はデッキから見ていたカラフルな街のひとつに降りることができてとても嬉しかった。
船の中で両替を済ませ、私はサアヤ、それからジャンベのケンちゃんと一緒にティエラ・デル・フエゴ国立公園に行くことにした。
バスに乗り込み、がたいの良い運転手さんに片言のスペイン語で行き先を確認してお金を払う。
「ティエラ・デル・フエゴ、ポル・ファボール」
行きたい場所を伝えただけなのだけど、呪文のようにも聞こえる。
世界中に色々な言語があって、各地でそれぞれの言い方で物事が進んでいくのは、なんて面白いのだろう。
座席に座って外を眺める。
旅は移動。
己の身をいろいろな場所に置くことができるのが楽しい。
いつもと違う場所で、いつもと違うことをするのもよし。
同じことをするのもよし。
ただしどこで何をしていても、いつでも無理なく、一番しっくりくることをやっていたい。
自分を好きでいるために、いつでも行動と意思が一致しているようにして。
程なくして車窓に壮大な景色が広がってきた。
国立公園の名がついているだけあって、広くてとても見応えがある。
山肌が見えているところでは、層が重なり山になっている様子がよく分かる。
黄土色のグラデーションになっているのは、昔はここも海の中だったからなのだろうか。
バスは、なんのアナウンスもなく急に止まった。
「着いたみたい~」
サアヤが言って、上の棚に載せていたリュックを持った。
車内を見渡すと、ほとんどの人たちがこのバス停で降りるようだ。
外に出ると冷たい風が頬にあたり、身震いをしながら言った。
「けっこう寒いね。寒いところでは色が研ぎ澄まされている。吸い込まれそうな空の青と、山のみどり」
雨あがりなのか霧が晴れた後なのか、目に映るあらゆるものが、湿り気を帯びてつやつやしている。
樹木から、巨大な岩々から、冷たい地面から、水分が立ちのぼっている。
蒸気になった粒がそれぞれに思い思いの光と香りを発する様子を、粒を壊さないように身を潜めて静かに観察していると、地球の呼吸に吸い込まれそうになる。
バス停の前には低くていかにも登りやすそうな山があった。
木々の下に短い草が広がるこの山に登山口のようなものはなく、ただただそこに立っている。
低いとはいえ傾斜はけっこう急で、どこからかアロマのような良い香りが漂っている。
思わず深呼吸をして、この雄大な自然の一部としていま在る自分の存在を感じていた。
「みんな、登ろうぜ」
ケンちゃんが張り切って先頭を行く。
私たちも続いてその山の道なき道を、サルのように四つん這いになって登っていく。そうやって手も使って山を登りながら、最初は人も四足動物だったのだろうなぁ、と猿人のご先祖様を想った。
「ハイハイみたいで気持ちいいな」
ケンちゃんはにこにこして時々振り返りながら、どんどん登り進んでいく。
「待って、この花見たことない」
サアヤがうすむらさき色のすごく小さな、下を向いたラッパのような野花をみつけた。
「かわいいね。あっ、いい匂い。さっきからたちこめていた匂いは、この花の香りだったんだ」
この山全体を包んでいる、不思議な香りの元を見つけて嬉しくなった。
ここにもある、そこにも、と見つけることを楽しみながら山の表面を這い進む。手と足を動かすタイミングがすごくよく合っているように自分では感じていた。
考えると分からなくなるのだが、本能のまま自然体でやってみると、うまくできる。
夢中で手足を動かしていたら、あっという間にもうすぐてっぺん。
「お! 光ってる」
一番に頂上に着いたケンちゃんが、びっくりした顔で下の方を指さしているので思わず聞いた。
「えー、何が?」
サアヤと急いで登ってケンちゃんを追いかけ頂上までたどり着いた。
覗いてみると、本当だ、山々にぐるっと囲まれるようにできた湖の水が透き通っていてまるで発光しているかのよう。
さわさわと風が吹くたびに揺らめいて光る幻想的な世界に思わず息をのんだ。
風がピタッと止むと、鏡のようにすべてを逆向きに反射して山の連なりを映し出している。
この寒い中、ケンちゃんがいきなり服を脱ぎだした。
着ていた上着を脱いで、ズボンを脱いで、さらにはシャツも脱いで、パンツまで脱ぎ捨ててしまった。
「俺、還るわ」
そう言って、地球のまんなかのような湖に還っていこうとする。
水に足を入れたケンちゃんに思わず聞いた。
「水冷たくない?」
「全然だよ」
彼はそう言いながら、どんどん奥に入っていく。
肉づきの良いお尻を丸出しにして。
「やせ我慢しなくていいんだよ」
私たちが笑いながら伝えると、ケンちゃんは体を動かすと冷たい水を感じてもっと寒くなるからか、膝までつかったところで顔だけ振り返って、歯をガタガタ言わせながら手を振っている。
ケンちゃんのよく灼けた体から広がる波紋をみながら、この光景を目に焼き付けてずっと忘れないでいたいな、と願った。
いつまで覚えているかな、今日のこと。
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