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本能的に旅人 第八話

恋人バオバブ(マダガスカル島)


船は早朝、マダガスカル島の近くまでやってきた。この大きな船では遠浅で美しいノシベという島までたどり着くことができない。

小さめのテンダーボートに乗り換えて、ようやく島に足を踏み入れることができる。

そしてバオバブ並木を見に行くには、さらに飛行機とタクシーに乗って移動しなくてはならない。

今回もサアヤと目的地を目指す。

空港で飛行機を待つ間、人々をなんとなく観察しているとサアヤが言った。

「やっぱりアフリカ大陸に近いだけあって、国民もいかにも明るいアフリカンって感じだね」

「うん、確かに黒人が多いけどいろんな民族が混じっているようにも見えるね。ほらそこに、レゲエっぽいお兄さんもいる」

私はお兄さんがいる方向を目で合図した。

するとお兄さんと目がばっちり合ってしまった。

彼はニコニコしながら近づいて来て私たちに尋ねた。

「どこから来たんだい?」

そう言いながら、空いていた私の隣に腰を下ろした。オレンジ系香水の強い匂いがツンと鼻につく。

「日本だよ」
私はそう答えると、お兄さんは驚いて言った。

「マンマミーア!」
 
色々話しているうちにお兄さんと同じ飛行機だと判明したので、時間まで一緒に待つことになった。

「お嬢さんたち、こんな遠くの外国によく来たなぁ。俺は自分の国を出たことがない」

彼はそう言ったが、外国に行ってみたい、という気持ちがあるわけではなさそうだ。

私はいつも、この世界に属していることが不自然に思えていて、存在している自信がもてずにいた。

ふわふわと所在なさげにあちこち移動しながらどんなに居場所を探しても、
ただ生きていて良いなんて、なぜか許せてなかったのだ。

成長する過程で愛されていると感じる心が足りなかったのかもしれない。
もしくはそんなふうに自分にダメ出しする癖があるからなのか……。

とにかく自信を持てるようになるには、鎧で固めるべく、少しでも見聞を広めたり知識を集めたり、何か技術や資格を身につけるしかないと漠然と思っていた。

でもこのお兄さんと話をして、どうやらそうではないと確信した。

彼は、特に上等教育を受けてきた訳でもなく、何か特別なことができるわけでもないらしい。
仕事は日雇いで、お金はあったりなかったりするようだ。

そんなお兄さんの、体から溢れ出るような存在に対する自信は、どうやってつけたのだろう。 

「お兄さんの自信は、どこから来るの?」

ライオンのたてがみのような立派な髪のレゲエお兄さんは、少しの間考えるように天を仰いでから、さらりと教えてくれた。

「人と比べているうちは、自信がないってこと。ただシンプルに、ありのままの自分にくつろいで、どんな時も百パーセントのオーケーを出すのさ」

かっこいいな。
やっぱりそうか、いつでも「私は私でオーケー」なんだ。在りようを無理に変えようとしなくても、そのままで。

根拠なき自信こそ最強。そこには小さくまとまろうとする思考を入れる必要すらない。

どんなリスクがあるか考えることは価値があるとしても、それを具体的にひとつひとつ取り除く努力をしていけば、分からない未来を心配することは全く無用なのだ。

素の自分が出す答えからつながる未来なら、なんでもどんと来いと受け入れよう。
 
バオバブの木が見られる「モロンダバ」に向かう飛行機の準備ができたようで、アナウンスが入った。
ニコニコのレゲエお兄さんは、来たときと同じ爽やかな笑顔で手を振って言った。

「良い旅を! アイラブユー!」
すばらしい待ち時間だった。人生の旅そのものにも言えることだが、実際のところ旅の醍醐味は、人との出会いに尽きる。
 
小さめの飛行機に乗り込む。

機内は空いていて、聞こえるのは少しのおしゃべりと静かなエアコンの音だけ。

席を見つけて座ったとたん、ドドドドと音をたてて機体はこれから大空を飛ぶ力をたくわえるように、エンジンをふかしはじめた。

程なくして飛行機は前進しはじめ、ぐんぐんスピードを上げていく。

飛び立つのに十分なスピードを確保するために加速する。

ついに準備が整い、飛び立つときが来た。
なにかが始まるようなワクワク感に興奮してくる。

いよいよ、大空に向かってテイクオフ!

機体は前の車輪から後ろの車輪へ順番に地上を離れ、大空を目指して上昇していく。方向を定める為にぐるりと旋回しながらななめに傾く。

窓から眺めると、美しい海と島の町並みが見える。リゾート地でもあるノシベは、ゆったりとした時間が流れていた。

あたたかな海風の吹くマダガスカル島では、生き急ぐ理由など何もないのだろう。

そんな島と海をずっと見ていたかったが、いつの間にか寝てしまっていたようだ。

外国の機内では良い感じに放っておいてくれるので、とても気が楽でリラックスできる。

おもてなしが得意な日本では、時々私は逆に気を遣ってしまって、疲れることがあるのだが。

係の人が機械のように決まり文句を繰り返す日本。
均一化したサービスが受けられる利点があるけど、その人の気持ちや個性はどこにいった?

目立った行動はしないように言われたことだけをして、言われなかったことは管轄外だからやらない、そんな従業員を多々目にしてきたし、私もきっとそうだった。

それはまさに個性を封印する戦後教育の「賜物」。
それとも狭い国土では他からはみだす人がいると周りが困るからそのような風習になったのか、根がまじめだからなのか。
 
小さな飛行機は、あっという間にモロンダバの空港に到着した。
空港も小さく、余計なものは何もない。

荷物も預けていないのですんなりと空港を出ると、南国らしい大きな実のなる街路樹が出迎えてくれた。
甘い風の中に、人生を楽しめるだけの余裕があることを感じ取れる。

インド系、アフリカ系、その中間、様々な人種がいるが、急いでいる人は誰もいない。
ゆるい空気に合ったゆったりとした動きの人々は、大柄で表情も柔らかい。

私は益々、こんな良い雰囲気の国に生えているバオバブの木と対面するが楽しみになってきた。

空港で客待ちをしているタクシーのおじさんが外に出てきて、話しかけてくれた。

「バオバブ並木に行くのか?」
「そうです。いくらですか?」
「八十アリアリだよ」

安いので喜んで付いていくと、そのタクシーにはすでに一組のカップルが乗っている。
どうやらこのタクシーにお客さんがある程度いっぱいになると発車する、乗り合いのシステムらしい。

喧嘩中らしく「ボンジュール」と私たちに言ったきり、恋人同志はそっぽを向いて一言も話さないフランス人カップルの観光客と一緒に、私たちはガタガタ道を車に揺られてバオバブ並木へ向かうことになった。

気まずいほど静かな車内で、なんとなく私たちも黙っている。
外を眺めていると、時折ミニチュアのようなきれいな建物が見えたので私は沈黙をやぶって聞いてみた。

「運転手さん、あの建物はなんですか?」
「あれはお墓だよ。一般のマダガスカル人たちは、現世より死後を大切に思っている。だからボロボロの服を着ていても、お墓だけは豪華にしているのが普通さ」

「そうなんですね! 日本では逆です。死は暗いものとして扱われていて、家がたとえ立派だとしてもお墓は一様に地味ですよ。あんなきれいなお墓に入ったご先祖様たちは、きっと天国で良い暮らしをしているでしょうね」

「もちろんだよ。お墓に遺体を収めるときは高級な布で巻いてあげるのだけど、そのうち巻いた布も古くなってくる。だから五年に一度くらい乾季の時期に親戚中が集まって、墓から遺体を取りだし、またきれいな布で上から巻き直す『ファマディハナ』という儀式をやるんだ」

「すごいですね! そんなふうに死者を丁寧に扱って敬うのは素敵な習慣ですね」

生きている今より死後を大切にしているマダガスカルの人々。
どうやらこの国では、樹木のみならず生死観までもが逆さまらしい。
日本ではどうだろう。こんなにご先祖様や死んだ後のことを大切にできているだろうか。

もっと大切にできていたら、ご先祖様が居たからこそ存在している私たちや、これからの世代へと命がつながっていることが実感できて、自分さえ良ければいいという殺伐とした雰囲気さえ変わっていくのではないだろうか。

そんなことを考えながら窓の外を眺めていると、ついにあの変わった木々のシルエットが見えてきた。
 

  『Welcome・Bienvenue・ようこそ』日本語交じりの看板を通り過ぎる。

こんなところまで世界中旅行できる日本人が沢山いることは、すごいこと。

本当に、ここまで日本を発展させてくれた先人のおかげだ。

「お客さん、着いたよ」

タクシーを降りると、目の前の不思議な光景にくぎ付けになった。

見渡す限り赤土の大地に、不思議なかたちの木々がにょきにょきと生えている。

地元の人が崇めるこのバオバブの木だけ残し、ジャングルのようになっていた周りの他の木は人口増加のために伐採してしまったから、このように不自然な、結果的にはアートな空間になった。特別で大きなバオバブの木々は、すらっと長い幹の先にほんの少し毛が生えたように葉が茂っている。

上の部分が根っこに見えて、木がてっぺんから地面に突っ込んでいるかのよう。

まるで旧約聖書に出てくる「生命の樹」の原画みたいだ。

たしかあの絵は、現実を見て考えるのではなく、考えたことが現実になるという説で、閃光みたいにピカっとひらめいたアイディアが少しずつ形をもっていき、現実世界に現れることを示すものだ。

 ひっくり返ったようなバオバブと呼吸を合わせていると、世界がだんだん「逆さま」になってきた。

もしかしたら、過去から流れていると錯覚していた時間は、実は未来からきているのではないか。

遠い空の果てからやってくる、一筋のひかる滝のように。

今まで過去の影響を受けたエゴを自分の声だと勘違いして、ただ現実に反応していただけだった。

つまり、頭で描いた思い込みの物語のなかに生きていたのだ。

本当は、毎瞬が新しい。
直観的にこの旅に出ようと思った時に何か最初から知っていたような感覚も、未来からの情報をキャッチしているからかもしれない。

広い大地に、赤道近くの太陽の光を背にバオバブだけが立っている。

神々しい姿の木々にお願い事をしている観光客もいるが、私は何のお願いもわいてこない。
己の欲望は何かと考えさせないくらい、神聖な木に思えていた。

強い日差しの中、並木を歩き進むと「恋人のバオバブ」と呼ばれる二本があった。

恋人同士が愛し合っているかのように絡まり合い、強く抱き合って立っている。

「愛し合うって、いいよね。楽しみだなぁ。運命の人に出会うの」

巨大な恋人バオバブを見上げて独り言のように呟くと、頭の片隅でうたくんが笑った。

日本に彼氏を待たせているサアヤが、にこっと答えてくれた。
「恋人って、生身のぶつけ合いだから大変な時も確かにあるけど、根元に愛があればケンカすら栄養になってどんどん絆が育つものだよね。さっきのフランス人カップルも仲直りするといいね」

人はどうしたって、ひとりでは生きていけない。誰かとどうしても支えあっていかないといけないようにできている私たちは、甘えたり迷惑をかけ合いながらもやっていくしかない。

争いが悪いというわけではなく、険悪さと親密さはバランスをとり協調している。昼夜や陰陽、男女のように。
 
陽が傾く帰り道、タクシーに乗ってガタガタ道を戻っていく。

夕陽に照らされ濃い影を伸ばすバオバブが辺り一面に立っている姿は、脳裏に焼き付くほど印象的だ。

そこに、誰かふたりが寄り添って「恋人のバオバブ」を見上げている姿があった。

さっきのフランス人カップルが仲直りしたのかもしれない。
きっと、そうでありますように。
 
サアヤと船に戻って、いつもの二段ベッドに横になった。

その夜は神聖な木々に触れて、自分にもパワーが宿ったような不思議な感覚があった。

大自然に身を置くと、自分の中の野性のちからが目を覚ますような気がする。

月明かりを浴びようと、むっくりと起き上がってデッキに出るための階段を静かにのぼっていく。

海風が気持ちいい。
ぶかぶかでゆるいシャツと、伸びてきた髪が風になびく。

真っ暗な空。水平線近くが、うっすら光っている。
何かが始まるような予感。

そうか、ちょうどお月さまが昇るところなのだ。
太陽も昇るころは橙色であるように、月も水平線から昇るときには濃いオレンジ色をしている。

ほどなくして、いつもより二周りほど大きくみえる月が顔を出し、みるみるうちにその美しい姿を全て現わしてくれた。

まんまるに膨らんだ月が、ぽっかりと空中に浮かんでいる。

宇宙で生まれた月と地球を感じていると、満月からゆらゆらと船に向かって光の線が伸びてきた。

幻想的な光の粒たちが水面を漂い、黄金の道となって私と月をつなぐ。

水平線を見ると、夜だというのにぼんやりとした明かりが雲と海を結んでいる。
よく目を凝らすと、それは虹だった。

夜にも見えるものだとは知らなかった。

その雲の周辺では、雨が降っているようだ。
雨雲から斜めに鉛筆で何本も線を描いたような灰色の雨が、無数に海に注いでいるのが分かる。

その雨粒ひとつひとつに月の光がちょうど反射して、虹を作っているのだろう。

自然は本当に美しい。

私たちが見ているから美しい姿でいてくれているのではないかと思ってしまうほど。

虹色の雨粒は束になって、空と海に橋を架けている。
 
南半球だから、南に進むほど風が冷たくなってくる。

月を見上げて、高速で回転するひとつの天体としての地球を想った。

規則正しく回転を続けながら、太陽の周りをまわり続ける地球。
この地球に月が付いてきてくれている。

船と同じスピードに見えて、今夜も見守ってくれているようで安心する。
いつでも地球に味方をして、重力の絶妙なバランスでお互い支えあっている。

空に月がある限り、地球は大丈夫だ。


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