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一人で外で酒を飲むこと

親が言うには自分は本ばかり読んでいる子供だったらしい。一人っ子ということもあり、家では時間があるともっぱら本を読んでいたのはたしかだ。自分の記憶をたどると、幼稚園の頃に皆で砂遊びをするのが嫌でこっそり教室に残って絵本を読んでいたこともあった。本が好きなのは確かだったけど、それ以上に一人で過ごすことが快適だったのだと思う。当時は同い年の友達がおさなく見えて、話が合うのは少し年上の幼馴染数人くらいしかいないという感覚があった。小癪な幼稚園児だったなおれ。

成長してからも、一人でできることを趣味に選ぶことが多かった。落語を聴くのもバイクに乗るのも古本屋を歩くのも基本的には同行者を必要とせずに完結できる。大人になって酒を覚えてからも、自分が好きな飲み方は、馴染みの居酒屋のカウンター席で一人で本を読みながら酔うことだった。

20代の頃に初めて出来たその行きつけの店は、大将も店員もいい具合にカウンターのおれを放っておいてくれた。というか大将もおれと同じ陰キャ気質だったのだと思う。たまたま店に二人だけだった時に「居酒屋なんて旨い酒と肴さえ提供できれば充分だろうと思って開業したけど、こんなにお客さんに話し相手役を求められるとは思わなかった」と苦笑していたことを思い出す。それはさすがに読みが甘いだろうとは当時のおれでも思ったけど、言うだけあって仕入れる酒も出てくる料理も常にパーフェクトだった。鳳凰美田や南、海や高倉などを飲み、旬の刺身、若鶏の西京焼き、牡蠣のおつまみグラタン、まぐろアゴトロの塩焼き、ごぼうのフライ、まろやかきのこレバーなどの至高のメニューを粛々といただくのは至福の時間だった。若かった頃のおれは酒場に一人になるために行っていたのだと思う。そう、井之頭五郎のアレだ。

”時間や社会にとらわれず、幸福に空腹を満たすとき、
つかの間、彼は自分勝手になり「自由」になる。
誰も邪魔されず、気を使わずものを食べるという孤高の行為。
この行為こそが現代人に平等に与えられた、
最高の『癒し』といえるのである”

ドラマ『孤独のグルメ』の冒頭ナレーション

まあゴローちゃんは下戸なのでメシしか食べないけど。


なお、長く通ったその店は2014年の夏に惜しまれつつ閉店した。閉店の理由は大将からも聞いたがこの思い出話と関係ないので割愛する。個人経営の飲食店はある日突然終わりを迎えても全然おかしくない業態なのだということを身をもって知った。好きな店には今行くしか無いのだ。

9年が経って、今でも自分は一人で飲みには行くものの、最近はカウンターで会う人と話すことも大きな楽しみになっている。酒場のコミュニティとしての機能に魅力を感じるようになったのは、単におれが老いたということもあるだろうけど、なにより恵まれた環境に出会えたからにほかならないのであり、いつも良くしてくれる皆様には感謝しております。ほんとに。

一人になるために外で飲むことは今もももちろんある。最近は焼鳥日高がお気に入り。白髪の増えた中年がスマホ眺めながら気楽に独り飲みするには最適だと思う。というかそばとかカツ丼もあるし、酒飲まなくても使えるんじゃないって思ってる。何ならゴローちゃんも来ればいいのに。

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