ある少女の記憶 ⑶

今まであった見慣れた風景が、
何一つ形をとどめず、
辺りは赤い海のよう。

たった数分で、
甲府の市内は崩壊した。

彼女と家族は石和にいたため、
その身も家も被害に合わなかった。

しかし、彼女は、
甲府市内にある叔父のガラス工場と、
友達が心配で、
七夕の願い虚しい7月7日未明に、
市内を彷徨い歩いた。

7月7日の朝、
空襲警報は解除された。
のちにこの甲府空襲は、その日付から、
「たなばた空襲」とも言われている。

恐怖と不安、
複雑な思いを抱え、
少女は勇敢にも石和から甲府へむけて歩き始めた。

周りには信じられない光景が広がり、
恐怖と心苦しさに何度も立ち止まる。

と、そこで彼女は、
一人の新聞記者の男性と行き会う。

彼も甲府に向かっていた。

彼女は新聞記者と共に、辺り一面の赤い海を彷徨う。

防空壕から出た数本の力尽きた腕、
地面に横たわる数えきれないほどの死体をよけながらゆっくり歩く。
ふと、不気味なほどの灰色の空を見上げると、電線と電柱の間に人間の頭部がぶら下がっている。この世のものとも思えないほどの光景が広がる中、二人は甲府市に向かい、
口数少なく歩いて行く。

後に彼女は言った。

あの新聞記者のおじさんがいなければ、
私は友達を探すのを途中で諦めていたし、
おじさんとも会えなかった。
それだけ悲惨な状況だった、と。

甲府市内について、
二人は別れた。

彼女は叔父のガラス工場についた。
ガラス工場の天井は抜け落ちてしまったが、
叔父は無事だった。

再会できた叔父としばらく市内を歩く。

小さな子供が地面に座り泣いている。

「とみこ、子が泣いている。何か持っていないか?あげられるものはないか?」

叔父が聞くが彼女は身一つで出てきたため、何ももっていなかった。声をかけるが、何もしてあげられない。

叔父と別れ、
彼女は友達の家を探し当てた。

彼女の家も全壊せずに残っており、
友達も無事だった。

友達の母親は、はるばる会いに来てくれた少女に、お腹が空いただろうと、作ってあったさつまいものつるを煮た煮物をふるまった。

石和には缶詰の貯蔵が功を奏した。
5月ごろからいつくるかわからない空襲に備えてあったのだ。

赤子の服はなく、
布の身包みが配給された。

#戦争
#戦争体験記
#たなばた空襲

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