ある少女の記憶 ⑷
8月15日、終戦。
彼女はその後、
陸軍写真班に所属していた男性に出会い、
結婚。
私の祖父である。
その後男の子を出産。
わたしの父である。
農家に嫁ぎ、
慣れない農作業に勤しみ、
二つのバケツを木の端に天秤のようにかけ、赤ちゃんをおんぶしながらひょいと水たまりを飛び越え水汲みに行く。
慣れた足取りで。
終戦から一年以上達、
見上げる空は、
あの日と同じように、
ギラギラと熱い太陽が照る。
しかし、彼女は家族に恵まれ、
二男一女の立派な母になる。
好きな歌を口ずさむことも、
読書をすることも許された今、
家事育児に奔走する。
あの頃からは考えられないほどの平穏。
戦争が始まり、
全てが変わった。
10代、20代の少女たち。
今の私達はどうだろうか。
命のありがたみ、
生きている事実こそが奇跡であることを、人は忘れかけている。
学業に勤しみ、
運動に汗を流し、
好きなことを考え、
好きなことができる。
そしておしゃれをして、
恋をして。
一番輝く時期なのだ。
青春の時なのだ。
しかし少女達の青春は、
戦争により奪われた。
21歳の少女は、
延々と繋がる列に、
友達と心踊らせながら並ぶ。
配給の列である。
少女たちは戦火の舞う中、
一握りの期待と、
若者ならではのウキウキ感を小さな胸に抱きながら並ぶのだ。
口紅を手に入れるために。
私は祖母のその話を聞くために、
胸が熱くなる。
医療技術も発展していないこの時代、子を産み、そしてその子が、健康に無事に成長していくことすら現代のように保証されてはいない。幼くして命を落とす子もたくさんいる。
そんな中、戦争を経験した少女達は大人になり、結婚し、子を産み、そしてわが身を削り、大事に大事に子供を育てる。
その子たちは立派に育ち、
その後の日本を担うのだ。
76年。
長いだろうか?
短いだろうか?
76年というその時間の経過。
それから今現在を考えると、
本当に敬服の思いである。
今の私がいるのは、
もながいるのは、
紛れもなく、
祖母がいたから。
祖父がいたから。
そして父が、母が。
はるかに長い歴史を生きる血の繋がり、ご先祖様の存在のありがたさ。
今生きているこの瞬間が奇跡。
高校時代、
この祖母の戦争体験談を聞き、
私は文字におこし、文に連ねた。
それを読んだ先生は、
絶賛し、是非祖母に体験談を学生に話して欲しいと頼んだ。
しかし、祖母は笑いながら、
恥ずかしいから嫌だよ、と。
祖母は私になんでも話してくれる。時に涙を流しながら。
彼女は毎朝、
年期の入った鏡台に向かい、
丸く曲がった腰で正座をし、
丁寧に髪の毛をとかし、
椿油を付け、
レースの綺麗な薄い帽子を被る。
若い頃と変わらずにおしゃれ。
私はその姿を見るたびに、
凛としていて、そして気品に溢れ、本当に綺麗だなぁと思う。
激動の時代を生き長い歴史を抱えながら生きる人は、
本当に美しい。
あの日、友達を探しに一人甲府の町に出た少女は、それから74年の月日の中で、3人の子、6人の孫、7人のひ孫に囲まれている。
私達家族親戚にとって、
祖母は実に特別な存在なのだ。
*****
この日記を祖母の了解のもと書いて、
それから約2ヶ月に祖母は旅立った。
子、
孫、
ひ孫に見守られ、
自分の家の、自分の部屋で、
穏やかに息を引き取った。
最期のその瞬間まで、
血を分けた家族のぬくもりを感じながら。
おばあちゃんは私にたくさん、
いろいろな話をしてくれる。
大好きなおばあちゃん。
日記としておばあちゃんとの思い出を綴ってきたけど、おばあちゃんを看取った時の日記を読み返すことは、まだできない。
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