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※この物語はフィクションです、っていらないと思ってたんだよね。

ドラマで本編映像が終わると必ず流れる注意書き

「※この物語はフィクションです。」

もちろん、必要な注意書きであることはわかっている。
ドラマに出てくる登場人物や団体や場所が実在しないことを、誤解のないよう視聴者へ伝えるためのものだ。
その反面、もったいないとも思う。この注意書きが映し出されると余韻に浸る間もなく
現実に引き戻される感じがもったいない。

『オオカミの家』(初公開2018)はたまたま見つけた。
コマ撮りの長編映画は見たことがなかったので興味があったし
これもたまたま、自分のなかで鬱映画を観るキャンペーンをしていたので
これは観るしかないと思った。

ここから感想※ネタバレあり

正直N○Kでたまに放送される怖い人形劇のような類かなと予想していたが
想像以上であった。もう、レベチ。
壁画と立体が合わさって展開していくのだが、壁画は描いては塗り重ねられ、
立体はできあがっては壊れていく。

形が留められることはない。一瞬一瞬が常に移り変わってゆく。

椅子や棚などの家具や壁にかかっている服の上からも塗り重ねられてゆくので
実際の部屋以上に奥行きや立体感があった。

これだよ!これこれ!!

先ほども触れたがこの映像は作画が安定しない。(いい意味で)
部屋の中や登場人物の顔や体の形が常に変化するのである。
その「安定しなさ」が観ている者の不安を煽る。

しかも、それだけではない。
この映画には最初から最後まで例の注意書き(※この物語はフィクションです)がない。

それはこの映画が実験的な試みで「監督を演じるロールプレイング」という構造になっていることにある。
映画の概要を見ると、チリに実在する「コロニア•ディグニダ」(今も名前を変えて実在している)にインスパイアされたものであるとあるが、パンフレットにはこの映画の監督が「自分がそのコロニーの視聴覚プロデューサーだったらどういう映像を作るか?」
という程でこの映画は作られている。
それはかつてウォルト•ディズニーが戦争のプロパガンダ映画を制作したように。

たしかに「コロニア•ディグニダ」という場所は実在するけれど、プロモーション映像である事実は存在しない。冒頭にはコミューンでの実写映像もあり、うっかり見ていると本当にこの場所があって、あたかも宣伝映像見せられているかのような気持ちになってしまう。(同時上映された『骨』についても取り上げられているテーマは異なるが同じ構造になっている)

そのような、どこまでが真実だったっけ…みたいな感覚がさらに恐怖を煽る。
私が観たかったのはこういう映画なのだ。

さいごに

この映画が上映されたのは上越市高田にある「高田世界館」。
私にとって上越市高田という街は、展示を見に行ったり参加させてもらったりした
クリエイティブな街である。この地でこの映画を観られたのが非常にエモい。

県内で『オオカミの家』を上映している映画館は
ここ「高田世界館」のみ。
思わず受付の方にお礼を言った。

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