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不登校からカフェスタッフになった息子の3つの原動力

西和賀に「移住」して2週間が経ちました。
中1の息子は今日も張りきってネビラキカフェでお手伝い。
東京にいた頃は、朝なかなか起きてこなかったのに、ここでは朝陽が昇る前にむくっと起きて、朝ごはんを食べて歯を磨き、髪型を整えて、「いってくるわ!」と颯爽と自転車をこいで「仕事場」に向かいます。
東京にいた頃にはなかった一面が見えるようになりました。

紅葉と朝焼けに染まる山々。澄み切った空気につつまれる。

「なんで岩手、それも盛岡とかじゃなく、西和賀に来たの?」と思った方はこちらをどうぞ。

カフェの「仕事」が楽しい理由とは

中学生になって不登校となった息子は、めったなことでは外出しなかった。
たまにスーパーに買い物に行ってくれたり、休日に友達と遊びに出かけたり(不登校になっても仲の良い友達とはつながっていた)、ごくまれに私が働くNGOのオフィスに遊びに来たり。
ちょっと遠出をすると、疲れて次の日は横になる日々だった。

それが、西和賀に来てからは、誰に言われるでもなく毎日休まずにカフェのお手伝いに。
「たまには休んだら?」と声をかけても、毎日欠かさずお店に向かって11日連続。

様子が気になった母(私)がそっと顔を出すと、楽しそうに駆けまわり、真剣な表情でお手伝いしている。
ケーキの仕込みから、洗い物、オーダー取りと会計、料理や飲み物を運ぶ。懐の深いオーナー夫妻やカフェの先輩たちに助けられながら、ひととおりの工程を経験できたようだ。

はじめて作ったメニューは、西和賀産ブラウンスイス牛のボロネーゼ。

ある日、夕ご飯を食べながら、「ネビラキカフェは、第二の家みたいだな」と息子がつぶやいた。
お手伝いにやりがいを見出しただけでなく、カフェは居場所にもなっていた。
お手伝い経験について息子が語るのを聞くうちに、彼の3つの原動力に気づかされた。

(1)役割がある

カフェに行けば、自分の役割がある。
その日の忙しさによって、洗い物からオーダー取り、配膳、ときどきオーナー夫妻の息子くんのお相手など、何かしらの役割がある。
その場にいるメンバーがそれぞれの役割を担い、1つのお店をまわしていく。「自分の仕事」を持てることにやりがいを感じているのかもしれない。
そういえば、息子が「カフェはチームワークなんだよ」と言っていた。

(2)信頼される

料理が盛られたお皿や飲み物をトレーに載せて、砂利と枕木のでこぼこ道を進み、湖畔のテラス席まで運んでいく。
途中で転んだら、大惨事になってしまう。

お客さんのオーダーを取り、会計をする。
間違えたらその日の計算が合わなくなってしまう。

そんな大切な仕事を任せてもらえることに、身が引き締まる思いのようだ。
(初めてお会計の役割が巡ってきた日は、「やっぱやめとく・・」と奥の部屋に逃げてしまったけど、数日後には一人でお会計を切り盛りしていて、成長を感じると同時に、きっとオーナー夫妻や先輩たちが背中を押してくれたんだろうなとちょっと胸が熱くなった。)

湖を一望するテラス席へむかう道

(3)誰かに感謝される

忙しい日はオーダー取りや会計、配膳といった難易度が高めな仕事は社会人や高校生メンバーが担うことが多く、息子は洗い物係に徹するそうだ。

ある日、お客さんが途絶えない繁忙日があった。
まだカフェに仲間入りして間もなかった息子は、朝からずっと洗い物だったそう。
午後、お店に立ち寄った私に駆け寄って、赤切れしかけた手を見せて「ずっと洗い物で大変だったんだよ~(ぴえん)」と。

そのとき、厨房から「今日は〇〇くん(息子)が一生懸命に洗い物をしてくれたおかげで、大助かりだったね」
カフェで働く社会人メンバーのYさんだ。
「〇〇くんがいなかったら、回らなかったなぁ」という声が続く。

疲れ切っていた息子はその声を聞いて、ぱっと顔が輝いて誇らしそうな表情になった。
(きっと、Yさんは息子に聴こえるように声を届けてくれたんだと思う。優しいなぁ。)

そして、日々のお手伝いのなかでお客さんから「美味しかったよ、ありがとう」「頑張ってるね」と声をかけてもらう度に、励まされるのだそう。

誰かに感謝される経験、それも、地域や周りの大人たちとのつながりのなかで「ありがとう」と言われる経験ができる。
大人だって、そんな場があったら毎日でも通いたくなるだろうな。

早朝のテラス席から。朝霧が晴れると、鏡のような湖面が。

(3)ロールモデルに会える

ロールモデルとは、「自分の行動や考え方など、キャリア形成の上でお手本になる人」を指す。
もっと簡単に言えば「ちょっぴり憧れる大人」だろう。

カフェでは、オーナー夫妻をはじめ、素敵に優しい愉快な大人たちがメンバーとして働いている。
たとえば、地域政党「にしわがみらい」代表の町議会議員でコワーキングスペースを運営するヤギ飼いのTさんや、元地域おこし協力隊員で銀河ホールでアートディレクターを務め、幅広い演劇活動を主宰する演劇作家・演劇指導者のMさんに、美しい絵画やイラストを描き、西和賀の学校やコミュニティで子どもたちや地域の方たちに絵を描く楽しさを伝えているYさんや、これから新たな進路に進む高校生メンバーたちもいる。

13歳の子どもが出会う大人と言えば、親や親戚、友達の親、学校や塾の先生くらいだろうか。
小中学生のうちは、家庭と学校が子どもが生きる世界の大半を占めていると言っても過言ではない。だから、そのうちの1つでも立ちゆかなくなると、子どもにとっては世界の終わりのように感じる。

多感な一方で、閉ざされた思春期を生きる子どもが、多様な大人たち、それも「たとえ迷いながら失敗しながらでも、自分を生きている大人たち」に出会える意味は大きい。

毎朝、息子は「今日は〇〇さんに会いたいから」と、勢いよく自転車のペダルを踏んで朝靄のなかを駆けていく。
「〇〇さん」には、カフェで働くメンバーの名前が全員、もれなく登場するのだ。

休憩タイムに流れる静かな時間

たとえ、学校に戻れなくてもいい

西和賀町での移住体験を経て、息子さんにどう変わってほしいの?何を期待してる?と問われたなら、「変化は期待していない」と答えるだろう。
「こうなってほしい」と親が主語となる期待は、必ずしも子どもが在りたい姿ではないからだ。
だから、学校に行けるようになってほしいとも思わない
もちろん、自分の意志で行きたいと思い直して、通うのであればそれはそれで応援したいけど。

カフェから帰ってくると、たぶん疲れてるのだろう。東京と変わらず横になってゲーム三昧だ。

でも、ふとした時に顔をあげて、
「お母さん、今日はじめてオーダー取ったんだぜ」とか、
「今朝のキノコ採りでさ、胞子が舞うのを見たんだよ!理科で習ったけどさ、ほんとに胞子って舞うんだね」とか、
「カヌーで漕いだ朝の湖、めっちゃ寒かった。でも、然さんに淹れてもらった紅茶が美味しかったなぁ。温かかった。」

・・なんて熱く語りだす。

「ネビラキ」に込められた意味に重なる息子

カフェの名前「ネビラキ」の由来は、「根開き」だそう。
それは、春を迎えてもなお雪が残る森で、木の幹に太陽の光が当たり、輻射熱で円形状に雪が溶けていく美しい現象のこと。

そんな由来を聞いて、学校に行かない/行けない1日1日を憂うのではなく、いまを受け入れ、季節がめぐるなかで開いていく可能性があるのかもしれないと思った。

種を蒔いて、すぐに咲く花なんてない。
ゆっくり時間をかけて、自分に合った場所を見つけたらいい。
子ども時代に蒔いた種が、時が経ち、蒔いたことすら忘れた頃に、ふと芽を出すかもしれない。

そう願いながら、朝が来ると息子を送りだします。
私たち親子を温かく受け入れ、支えてくださる西和賀町のみなさんに、めいっぱいのありがとう。

冬が来るとカフェは一休み。春、またたくさんのひとが集う場として開かれます。




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