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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 23 逸脱

ラオス バンビエン3日目
2023.0622 Thu

思い起こせば、幼少の頃からわたしは寝つきが良くありませんでした。
保育園のお昼寝の時間でも眠ることができず、子供会のキャンプでも一番最後まで起きている、そんなガキでした。

しかし、お昼寝の時間はいざ知らず、キャンプなど泊りのイベントで一番最後まで起きているのには、寝つき以外の理由がちゃんとありました。
その理由とは「夜を楽しみたいから!」です。
10歳前後のガキどもが過ごす、キャンプ場の夜。何も起こらないはずがありません。他のテントのペグを引っこ抜いたり、肝試しに行ったり、女の子のテントを冷やかしに行ったり…。途中で寝るなんてもったいない! そんな夜を最後まで楽しみたかったのです、わたしは。

ときは流れます。
学生時代が終わり、社会人生活が始まり…。
わたしが就職したての頃は、まだギリギリ社員旅行なるものがありました。その夜の宴会で副社長付きのコンパニオンとデュエットしたら副社長に睨まれたらしく、人を介して謝罪を要求されました。「文句があったら直接こいや」と強がったわたしは、心の中で頭を抱えてしまいました。
「なんてしょうもない会社に就職してもうたんや…」
結果はどうあれ、若かりし頃のわたしは、会社の場であっても盛り上げ楽しませ、もちろん自分も楽しもうとする気持ちがありました。

特にラオスに入国してから思うんだけど、ホステルの受付の女性が
やたらと聡明でしかも美人が多い気がする。もしかしたら花形の職業なんですかね?
※画像と本文は関係ありません。

翻って近年は…。
会社の飲み会を盛り上げるどころか、参加すらしません。
友人と泊りがけの釣行をするときも、宴会終盤になるとさっさと寝てしまいます。
寝つき自体は歳をとるごとに悪くなっているのに、です。

良いように表現すると、これは、“ちょうど良い頃合い”を経験則として身に着けたからだと思います。
“このくらいで止めとくのがちょうど良いんだろうな” そう考え気を抜くから飲み会途中で眠くなるのです。“明日のためにこのくらいで寝とこう” そう自制心が働くのです。
一人の時はいざ知らず、他人と吞むときは悪酔いなどまずしません。“ちょうど良い頃合い”を知っているし、悪酔いしそうな奴とはそもそも呑みに行かないからです。
わたしはこの“ちょうど良い頃合い”を身に着けて良かったと思っています。
“年の功”と言うほどのことではありませんが、酒の席での失敗はほとんどありませんし、遅刻などもかなり減りました。
社会人としては悪くないですね!

この型のカローラ、久々に見ました。「カッコいいから写真に撮らせて」って頼んだら、
おじさんめちゃめちゃ嬉しそうにOKしてくれました。
※画像と本文は関係ありません。

そして現在。
一時的とはいえ社会人を辞め、わたしはバックパッカーとなりました。
“ちょうど良い頃合い”にも変更の必要があるんじゃないか、そう思い始めています。
日本社会で築いてきた“ちょうど良い頃合い”、それを捨て去るときが来ているような気がするのです。

そもそも私の使うブロークンにも達しないpoor Englishでは、遠慮する言い回しなどできません。加えて、わたしの察する限りですが、日本人が使う気遣いというのは良い面も多々ありつつ、相手が理解できない(なにを言いたいのか通じない)ことも大いにあります。
欲しいものは欲しい、要らんものは要らん。そういうシンプルさが求められる場面が多いように感じます。

昨日タム・プーカム洞窟を案内してくれたドギーに、そしてドギーを飼っているレストランに、わたしは今日もう一度赴くことにしました。
そのレストランは『SAE LAO project』というボランティア組織で成り立っており、週に5回の英語の授業を始め、バンビエンの自然と調和した持続可能な生活を推進していく、そんな活動を行っています。
そこを再度訪ねるのです。

でも、わたしは知っていました。
これが“ちょうど良い頃合い”を逸脱した行為であることを。
あの気持ち、あの感動は昨日だけのものであり、今日レストランを訪ねても、それはそれでそこそこのアレはあるかもしれないけれど、決してそんなに盛り上がらないこと。わたしは当然、それを知っています。
しかし、わたしは怯む自分に鞭打って、お昼過ぎから自転車のペダルを漕ぎ始めました。

これ、涅槃仏っていうお釈迦様が入滅するさまを表現したものだったんですね。
全然知りませんでした。
※画像と本文は関係ありません。

この旅にはいろいろな後付けの課題がありますが、その一つが『自分の殻を破ること』です。
その行為が及ぼす結果としての現象。そんなことを気にするあまり止めてきた数々のこと。
そんなよくわからんことをあれこれ考えるくらいなら、いっそやってしまおう。“見る前に飛べ”ってやつですな。

この場合、わたしがしたいことは、彼らに昨日の謝意を伝えることです。ドギーがどれだけ賢くてかわいらしいか。その結果として自分がどれだけ楽しい気分になったか。あのときダニエル君がgoogle翻訳を使ってまで伝えてくれた「あなたの旅が楽しいものでありますようわたしは願っています」の言葉に自分がなにを感じたか。加えて、Web検索で知ったあなた方のプロジェクトがいかに素晴らしいか。あまりの感激に、自分のWeb日記に昨日の出来事を書いたこと。そういうことをわたしは改めて伝えたかったのです。

そして…。
結果は予想通りでした。
あいにくダニエル君はじめ昨日話したメンバーは居らず、昼過ぎの強烈な暑さにドギーたち3匹もわたしに愛想を振りまく余裕もなく、昨日は話さなかった食堂のおばさんと昨日居なかった現地のスタッフの方々に、できる限りの謝意を伝えWeb日記を見せて帰ってきました。

まあでも、これで良いのです。結果など、どうでもよいのです。
わたしは自分のしたいことをした。それが大事なのです。
会いたい人に会って、会いたかったと伝える。
それをするのに躊躇することなど一つもないんじゃないの。
そう思いますし、そうしたいですよ、今後とも。

バンビエンの青空と、次の日にパンクするマウンテンバイクと、わたしの指。
※画像と本文は関係ありません。


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