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頭でする恋、心が笑う恋

※このnoteは現在配信中の「バチェロレッテ」シーズン7について書いています。ローズの行方には触れていませんが、登場人物の会話やコメントを引用しているためご注意ください。






杉ちゃんのこととなると笑顔が止まらない萌子さん

萌子さん、杉ちゃんのことを話す時、いつもにっこにこなんですよね。これまでも杉ちゃんについて触れるコメントでは「かわいい」を連発しています。萌子さん、杉ちゃんに限らず「かわいい」と発する時は満面の笑顔なので、この“かわいい”は萌子さんのなかで琴線に触れるポイントなんだろうなあ。

杉ちゃんのアトリエでの萌子さんはハイテンション。

・絵の具のドレスをキャンバスに着せている作品を観て無邪気に「目玉焼きみたい。たまご〜。黄身が多いから私黄身が好きだからこれ好き。」って思ったことをそのまま口に出す

・ふたりで作品をつくる際に「これをちょろ〜とやったらどうですかね?」とやり方を提案した杉ちゃんに「どうして?理由を述べてください。」と先生っぽく言ってみる

・手を出そうとする杉ちゃんに「ちょっと計算しないでよ〜感性でって言ったじゃ〜ん、ただつくるんじゃなくてちゃんとやりたいの」とすねるように甘えて言ってみ

・「僕は空気入れないタイプなんで」と言う杉ちゃんに「私空気入れるタイプなの」と冗談を言ってみる

などなど、とにかく自由に表現する萌子さん。

相手の反応を気にせずに、むしろ自分の言葉で杉ちゃんがどんな風に反応してくれるのかを楽しむかのように、つくろわずに会話していた萌子さんの姿が印象的でした。杉ちゃんの良さを興奮気味に語り「一緒にいて一番楽しい」と言い切っていましたね。

宮家のような萌子さんの無邪気な姿が表すもの

わかる、とてもわかる……。

洞察力に長けていて、相手が望む言動を瞬時に察知してその通りに振る舞える萌子さん、成熟した女性であることにまちがいなくて、だからこそ常に公人のように振る舞うことが身についているんですよね。宮家の方のような上品さと節度がありませんか?

でも、努力と経験の賜物で外で完璧でいられる術を身につけたとしても、無邪気なこどもの心は片隅に必ず潜んでいるのだと思うんです。たくさん愛されて、辛い思いをバネにしながら、努力を重ねて会得した技術があっても、いや、あるからこそ、そういうのを全部とっぱらって心の赴くままに振る舞える瞬間が必要。

ただ、だれにでもその姿を見せられるわけではないんですよね。相手がどこまで許容してくれるのか少しずつ見せる範囲を広げながら、手探りでラインを探り当てていく必要があって。そこに相手の性格やふたりの相性も鑑みながら、相手が受け止めてくれる/受け入れてくれるという確信を抱けた時に初めて、“こうあるべき“を脱ぎ捨てて感覚のままにいられるもの。無邪気でいたり甘えたりできるのは、湧いた感情をそのまま出せるということ。感情のままに話したり行動したりするという良い意味でのこどもっぽさは、心をゆるした人にしか見せられないですもん、おとなになればなるほど。

バチェロレッテという番組すら知らない夫が杉ちゃんとのシーンと黄さんとのシーンをそれぞれ数分見て、杉ちゃんの時に「このふたりうまくいきそうだね。」と言うので「え!(一瞬ちら見しただけなのに)なんでそう思うの!」と聞いたら「この子がリラックスしてる」と。そう、そうなんだよ。凛としている人が愛嬌を出すのはリラックスしている表れでもあるし、なにより取り繕っていない緊張していない自然体な様子が見てとれる。

杉ちゃんは、何か突拍子もないことを言っても「おー…おー…そう…するの…ね……」と一旦受け入れてくれるんだよなあ。萌子さんも「杉ちゃんは思い通りにいかないことにネガティブな思いを持たないんですよ。自分の思ってた通りにいかないこともあ、そうなんだって楽しんでくれる。そこで新しく発見して自分の成長につなげていく人。だから一緒にいていちばん楽しい。」と満面の笑顔で語っていて、その顔が心境を物語っているなあと。

萌子さんはそれほど杉ちゃんが拒絶をしない、異質なものを弾かない、無下にしないことに信頼を置いているのだなあとシーズン7で特に感じました。

似た者同士ゆえ恋に落ちる障害がない黄さん

黄さんの前では黄さんのトーンに合わせているんですよね。黄さんは冗談も言いつつもベースはビジネスマンらしくかっちりした言動。萌子さんが「黄さん自身も家族といる時が自分らしいと言っていたので、今日はリラ〜ックスしたふつうの黄さんが見られたらうれしいな。」とコメントしたように、黄さんもゆるい姿はまだ出せていないのでしょう(もともとコンプレックスが強いと自分で言っていたので余計に素を出さず理想の自分を見せることが板についていると邪推)。

それに準じて、萌子さんも黄さんの前ではしゃきっとして論理的で正しくあろうとするというか。事業家の親元には人の出入りもきっと多く、モデルやスポーツトラベラーなど人前に立ち臨機応変に対応することを要求される環境にいた萌子さん。相手や場のトーンに合わせることも萌子さんにとってはきっと日常で、自然にできてしまうんだと思います。黄さんの前では公人調なトーンはやや下がるものの、パリッとしている萌子さんは崩れず。それが悪いというわけではなく、あくまで杉ちゃんといる時との対比ではそう映っています。似た者同士ゆえにわかる部分が多く、画面以上に 通じるからここまで残っているのですよね。

黄さん自身にも、黄さんといる時の自分にも、過不足がないのではないかな、と推測します。「ワーっていう驚きはないけど」と萌子さんもコメントしていました。大きな加点もないけど減点もない。違和感もないからバラを渡さない理由もない。違和感がないって重要です。

最後に選ぶ決め手になるのは

どちらといる時の自分が好きか、で最後は決める気がします。

ビジネスマンと画家、戦略家と情熱家、器用と不器用、似た者同士と未知のキャラクター……黄さんと杉ちゃんは真逆な存在だから、ふたりを比較することはできないんじゃないかなーと思うのです。

だから最後は、より自分らしくいられる方を選ぶんじゃないかな、と。

「この人との未来をイメージできるか」「つきあったらどんな関係になるのか」「父と母のようになれるか」等々考える視点は多々あれど、どれも仮定にすぎず根拠もほとんどない。ふたりきりで過ごす時間も短ければお互いのコミュニティにいる時の姿も見ていないわけで、判断材料は究極のところ居心地しかないのかな、と思います。

似ているしなんとなくこれまでのストーリーも想像できるから想定できる安心感もあって減点ポイントがないから頭で好きになるか、これまで出会ったことのないタイプで感性で生きている風で想定外の反応で毎度和ませてくれたり笑わせてくれたりして素のまま楽しくいられて心が惹かれるか、どちらも正解にしていけるもの。

飾らず、無理せず、繕わず、虚勢を張らず、甘えられて、相手が甘えてくるのもかわいいと思えて、頼まれなくてもこの人の力になりたいと自然に思える人といると、この人といる自分が好きだと思うものですよね。自分を肯定できる存在は何においてもパワーになるから、お互いが自分のために相手のためにがんばらずにがんばれる人と一緒にいられるといいなと願います。


あーー今回は書かずにいられなかった!皆様のバチェロレッテの感想も聞きたいです!(ネタバレなしってむずかしいですよね……)


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