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『歌舞伎町シャーロック 囚人モリアーティ 解放のXデー』ノベライズを書いた感想─〈解放〉の世紀によせて─

お話をいただいたのは、2019年の7月とかそれくらいだったかな。その数カ月前にKADOKAWAさんから『毒よりもなお』という社会派サイコミステリーを出しているのだが、そのときの担当さんからノベライズをやってくれないか、とお話があった。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズをもとにしたアニメの話がある、という。ほうほう、と思った。

2019年の5月に『ホームレス・ホームズの優雅な0円推理』を出したばかりでもあったので、そういう流れか、と思った。でも話を聞いていくと、舞台が新宿区だという。え、日本版なの? しかも「区」じゃなくて「區」なんです、と。ほお? タイトルは「歌舞伎町シャーロック」。えええ!?ベーカー街的な高級住宅地じゃなくて歌舞伎町……!?
「しかもハドソン夫人は、オネエです」
ええええええええええええ!?

舞台は壁とゲートで東西に分かたれた新宿區、イーストサイドの歌舞伎町。シャーロックとワトソンが暮らしているのは「BARパイプキャット」の店長であるハドソン夫人が家主の探偵長屋。悪人どもがあまた巣くう歌舞伎町の暗がりに、6人の探偵あり──

という感じの話で、実際に放送前のアニメが届いて観てみると、予想の斜め上を飛び越えて空中に放り投げられるくらいにぶっ飛んだ内容であった。ふつうのドイル原作をちょっと脚色してアニメ化したやつを想定していたのでびっくりしたし、さてどーしよう、ともなった。

なかなか一筋縄ではいかないアニメだ。どこかふわっとした第一印象に何気なく近づくと背負い投げを食らわせてくる。

シャーロックが落語好きという設定も、このどこか人を食ったような世界観とマッチしている。落語というのは、現代の笑いからすると、若干笑いどころがゆるくて一回聴くと「ふーん、まあ、おもしろいじゃん」くらいに思ってしまうのだが、何回も聴くうちに味わいが増してくる。

『歌舞伎町シャーロック』全体も、落語っぽい味わいがある。3分間落語並みにぽんぽん話が進むし、とにかくテンポがよくて、キャラが生き生きしている。そして、なんだかよくわからないうちに解決まで突っ走らされるが、終わってみるともう一回観てみようかな、という気分になっている。そういう不思議でクセになるアニメなのだ。

同時に、そうか、ドイル原作に忠実な王道的なやつだったら、編集者も俺に依頼しようとは思わないか、とも思った。何しろデビュー作が『奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』と『黒猫の遊歩あるいは美学講義』という、自分でもどう判断していいのかわからないくらい作風の異なる二作で、そこから十年近く書いてきたが、まっとうな球も一応投げられはするが、暴走すると大変なことになる自覚はある。

話を聞いてみると、どうも編集氏はこのアニメのモリアーティの闇落ちパートのあたりが『毒よりもなお』に出てくる犯人の少年のイメージと微妙に重なったらしいのだ。で、この手の闇落ちならおまえうまいだろうと、そういうことだったようだ。

で、最初にいくつかプロットを考えた。アニメの何話かとの間につながりを持たせたような、あくまでシャーロックとワトソンがメインとなるものや、アイリーンが主人公となるようなものなどなど。すると、先方(僕が直でやり取りしていたのはその段階で編集者だけなのでその向こうのどなたからの指示なのかはわかっていないのだが)からモリアーティの監獄の部分がアニメではほとんどないのでそこの話はどうか、と提案があった。

言われてみて、たしかに編集者もモリアーティの闇落ちがどうのと言ってたなぁ、なんで俺はシャーロック中心のプロット出したり、アイリーンの美しさにやられてアイリーンのプロット作ったりしてしまったんだ、反省、なんてことをしながら、そっかそっかそうだよねん、とぶつくさ言いながら「そういう目」になって全話分のシナリオを読み進めていった。

なるほど。たしかに溌剌とした少年として最初に登場したモリアーティ(モリリン)が、ある事件をきっかけに闇落ちしていく姿はたいへん興味深く、そのエピソード自体ひじょうにショッキングだ。

そして、そのようなモリアーティの存在は、「謎─推理─解決」で幕となる予定調和な探偵モノの形式を揺るがしにかかってくる。そこの揺るがし方は、本家のモリアーティよりもエモーショナルだ。

本アニメはおそらく視聴者がモリアーティに肩入れして観られるようにつくられているはず(そんな分析は要らんという声もある)。これによって、黒幕として君臨しつつも、謎─解決という図式が崩れない本家ホームズとちがい、「モリアーティの精神の解放の物語」という側面がまさしくアニメの中央にドデーンとくるのだ。人間らしい心のないシャーロックとモリアーティという似た者同士の絆の物語でもあり、ねじれた愛の物語にもなっている。

作中の表現を借りれば、ある事件をきっかけに「心のティーポットに穴があいた」モリアーティ。その獄中で何があったのか? アニメ第二クール(1月~3月分)のシナリオを読み、釈放後のモリアーティがやらかす一連の事件を考えると、獄中での意識転換はかなり重要なのではないか、と思えた。

ちょっと待ってよ、これ、軽々と引き受けたけど、とんでもないものを任されてしまったんではないか……闇落ちした人間が、そこからどういうふうに意識を変換すれば、ああなるのか?

また、この物語で一つのキーとなる「洗脳」の描き方も課題だった。アニメだと詳しい手順までは描かれていない。視聴者の想像に任されているわけだが、獄中はもろにその洗脳と深く関わるパートでもある。

獄中を描く以上、そこの部分を、「そこはまあなんとなく」で済ませるわけにもいかない。小説的にちょうどいい情報量が必要だ。というわけであれこれ頭を悩ませていたのだが、ふと、洗脳というものを「解放」と読み換えてみたら、手詰まりにみえた思考がするすると進み始めた。

現代社会というのは何かとふつうであることやクリーンであることが求められる。ちょっとでも人の後ろ暗いところを見れば、糾弾して謝罪させたがる人ばかりなせいもあるだろう。あの人あんなことしてゆるせない。あの人あんなことしてるけどビョーキなんじゃないの? 頭おかしいんじゃないの? とまあ昔に比べてもいろいろと行動や生活、思想における見えない禁止コードが増えた。

そういうなかでは誰もが「俺はほんとはちょっとふつうと違うんだけど」とか「私はみんなが思うほどクリーンじゃないのに」みたいな悩みを抱えてたりするんじゃないだろうか。そのくせ他人のことになるとそんな自分を棚上げして見世物でも見るみたいにバッシングして憂さを晴らしたり……。

そんなところに「いいんだよ、クリーンじゃない君が好きだよ」とささやかれたら、人はそこに「解放」を見出すんじゃないだろうか。それは、たとえば格差社会において、何も仕事もなく学校にも行けない若者がやくざのおにいさんに声をかけられて道を踏み外すのともちょっと似た「解放」だろうか。蔑むばかりで手を差し伸べてくれなかった社会とはちがって、やさしく語りかけてくれる人がいる。そんな「誰か」がいれば、その道が悪だろうが善だろうが、それはその人物にとっての真実となるだろう。

では、このような「解放」のために動くモリアーティの心理はいかなるものか? その答えを、プロットの段階でもつかみきれずにいた私は、実際に執筆してみてようやくつかむことができたような気がする。なので、知りたい方はもうとにかく読んでいただくしかない。

「解放」といえば、2020年はまさに「解放」が起こっている年だと思う。例の3月あたりからの国内の動きは皆さんご覧のとおりだ。マスク以外のものがマスクになり、消毒薬以外のものが消毒薬になった。学校は通う場でなくなり、職場は物資を保管する場となった。物質や空間が、本来の意味から「解放」されているのだ。あなたの恋人や親友が、こんなときに不誠実な対応をすれば、その関係性もまた「解放」されていく。意味の解放区が生まれているというのは、何らかの革命前夜ということでもあり、国家が危機的状況にあることも示している。

実際に何が起こるかはともかくとして、学生の多くが学費滞納で退学を余儀なくされたり、ネットカフェが閉店状態で寝泊まりできる場所が消えたりすれば、犯罪の道に取り込まれる危険性は大いにある。国が金融政策を渋れば渋るだけ、「助けようか?」というべつの声に人々は流れていかざるを得ない。

でも、個人的には2019年から、じつは「解放」の芽はあったのだと思っている。象徴的なのが、『ジョーカー』と『パラサイト 半地下の家族』という二作の映画の大ヒットではなかっただろうか。

ここに描かれているのは格差社会の歪み。前者が格差社会に打ちのめされながらある「解放」を迎えるのに対し、後者は格差社会を自力で超克し「解放」を目指すも真逆の結末を迎える。この二作の大ヒットには、格差から超格差へと変容しつつある世界への、大衆の無言の「解放欲求」があったのではないか、という気がする。

『歌舞伎町シャーロック』のモリアーティも、期せずして、そのような同時代性をもった「解放」の使命を負わされたダーク・ヒーローである。彼が「罪人を囲う空間」という意味をもった刑務所に入所し、それをどのような空間へと解放させていったのか、その目でしっかりと確かめていただきたい。

このようにして完成した『歌舞伎町シャーロック 囚人モリアーティ 解放のXデー』ではアニメ本編の要素を取り込みながら、そこに新たな意味付けなどもしているので、読み終わったあとにアニメに戻ると、また違った発見を愉しめるのではないかと思う。なにはともあれ、まずは脳内に山下誠一郎さん(モリアーティ役の声優さん)のイケボを用意しよう。そして具体的に想像しよう、あのかわいい少年が恐ろしい男たちばかりの監獄にいるところを……。

こんな状況ではありますが、一人でも多くの方がモリアーティの「解放」を見届けられますように。そして、モリアーティがあなたのご自宅に(電子・紙問わず)安全に匿われますように。



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