高松ソレイユの学生主催『千年女優』上映会がすごかった話
3月24日、高松の映画館ソレイユ2にて『千年女優』の上映会が行なわれた。主催は香川のたった一人の大学生。その動機など詳細はこちらのインタビューをごらんいただきたい。要約すれば事故でご自身の卒業が遅れることになり、同級生の卒業記念に、と上映会を企画されたということだ。
ここで、映画自体よりも、ソレイユという映画館について少し話しておきたい。ソレイユは高松にある小ぢんまりとしたレトロな雰囲気の漂う映画館だ。上映される映画がいちいちセンスがいいので、原稿の都合さえつけば月一では訪れたいと思っているくらい、本当に素敵な映画館である。
今敏監督の『千年女優』がソレイユで、と聞いた時、何とも言えない「しっくり感」があった。『千年女優』自体は二十年ほど前に一度観ている。映画館でではなかったが、今もアニメ映画の中では五本の指に入るほど好きだし、自分にとっては今敏作品にハマるきっかけとなった作品でもある。しかし、「好きな映画の上映会だから行こう」となるほど私の腰は軽くない。けれど、『千年女優』と「ソレイユ」の親和性の良さに負けた。何かが起こる、そんな予感に導かれたのかもしれない。
果たして、その予感は当たっていた。
知らない人のために簡単に『千年女優』の話をすると、今敏監督にとって劇場映画の第二作目にあたる作品だ。すでに引退して山奥で暮らす大女優・藤原千代子のもとへ、長年の彼女のファンであった男が部下とともにインタビューに訪れる。千代子がそのインタビューを引き受けたのは、「あるお土産」を男が持参することになっていたからだった。そして、それをきっかけに記憶の蓋が開き、千代子の映画人生の世界に男たちは引きずり込まれてゆく──みたいな話だ。
最初に観た時は、二十代のはじめ頃だった。次々とテンポよく切り替わるイメージに翻弄され、見終わった時の虚脱感が心地よかった。展開も好みで、素直にいいと感じ、日本のアニメ界に今敏という逸材を見つけたことにほくほくとした。だが、べつに感動で胸がつまって言葉が出てこないとか、観終えてしばらく嗚咽したなんてこともなかった。そういう種類の映画ではないと思ったし、「あのシーンのこの構図が最高だよねぇ」などと当時は思っていたのだ。
しかし、今回鑑賞を終えた時、ちょっとショックを覚えた。あまりに二十代の頃に味わった感覚と違っていたからだ。端的にいえば、私は後半から涙をおさえるのに必死だった。花粉のせいかもと思ったが、よく考えれば私は花粉症じゃないし、雨粒じゃないか、とも思ったが映画館は屋内だった。
歳をとったのか? それもあるだろう。だが、それだけではない。ここでいろいろと要因を考えてみたい。ここでは、映画自体もだが、あえて映画の外側にある「体験環境」まで含めて考察してみたい。
映画の上映前から振り返ってみる。周囲はがやがやと話し声がしていた。それもそのはず、映画館は満員どころか立ち見客までぎっしりだったのだ。
ところが、である。映画が始まるや否や、咳払い一つしなくなった。ノイズが、文字通り消えたのだ。「映画を観るんだから当たり前じゃん」と言うなかれ。昨今の映画館では平日昼間の人が全然いない時ならまだしも、土日の込み合ってる時に、これほどノイズが消えることはまずない。誰かしらはお菓子を食べたりペットボトルの蓋を開けたり、そういった物音を立てているし、たまにはひそひそ声も聞こえてくる。
ところがその日の観客は、誰一人物音を立てなかった。満席で立ち見客すらいるのに、だ。もうこれだけですでに奇跡のようなものだ。
そして、ソレイユの椅子。あの沈み込むような柔らかいレトロな椅子。何なら、ちょっと昭和の世界にタイムスリップしたような錯覚すら覚えそうになる。ソレイユはそういう映画館だ。
私は昔から映画館が好きだ。でも、好きな一方でいつも後ろめたさも感じる。その間は現実を捨てているからだ。現実を捨てて小さな箱に入り、べつの現実を生きる。映画を観るとはそういうことだ。その間に映画館の外の世界が焼け野原になっているかもしれないのに、私は映画館に足を踏み入れる。その背徳感に、レトロなソレイユの雰囲気は「いいんだよ、悪いことじゃないんだ」と言ってくれてるような雰囲気がある。
私はだから、たぶんソレイユの椅子に甘えることができたし、ほかの人も何人かはそうだったんじゃないだろうかと思う。
もう一つ、「体験環境」でいうと、この日は主催者の方の大学の卒業式当日で、館内には卒業生らしき人の姿が見られた。たぶん私のとなりにいた二名の女性客も卒業生だったんじゃないかと思う。上映前の空気で、今さらのように「そうか、これは単なる上映会じゃなくて卒業生たちへのプレゼントでもあるんだったな」とぼんやり考えた。
彼らもまた映画が始まると一切口を開かなかった。音も立てなかった。観客にはただ今敏監督作品目当てで来ていた客も多く、学生さんたちだけでなく、老若男女が揃っていたわけだが、みな『千年女優』の前で一切の音をやめた意味では「我々」という集合体になっていたようにも思う。
19世紀の詩人ステファヌ・マラルメは、ワーグナー楽劇の神秘は、観客と楽劇との「交感」によって生まれるというようなことを述べている。観客全体と作品とが互いに心を通い合わせた時に、はじめて「交感」は起こり神秘が生じる。
恐らく、場内の空気は半分は今敏と『千年女優』それ自体によって、そしてもう半分はこれが誰かから誰かへの特別なギフトとしての場である、という暗黙の了解によって、無意識のうちに張り詰めたものになっていたのではないか。
空気が違った。そうするつもりもないのに、映画に前のめりに参加させられる感覚というのだろうか。そうした空気は、そう易々と作り出せるものではない。さまざまな要因が絡まって、初めて創り出されるものだ。
映画の後半、周囲からもすすり泣きが聞こえてきた。そして、平沢進の荘厳な楽曲とともにエンドロールが終わる。それでもなお、誰も立ち上がらず、誰も帰り支度を始めなかった。やがて拍手が起こり、その後で誰かが主催者の方、一言お願いします、と言い、それに応じて主催者の河村さんが、千年女優のヒロインのような和装で前に現れ、あいさつをしてくれた。たった一言のあいさつ。しかしそれで十分伝わるものでもあった。
私は帰るために立ち上がりはしたものの、帰りに主催者に挨拶をしなければと考えると、泣き顔はまずかろうと思い、いったんトイレに行って涙を拭き、乾くのを待たねばならなかった。
とにかく、それはギフトだった。主催者が卒業する同級生たちに用意したギフトだが、そのギフトは結果的に映画館にいた観客すべてのギフトになっていた。
そのギフトとして用意された体験の中で、初めてたぶん本当の『千年女優』を知ったのではないかと思う。一途に片想いを貫き、さまざまな役柄を演じながら一人の男性を追い求める藤原千代子の姿、そこに「若さ」とかそういうのを超えて「生」の漲り、弓のようにピンと張られた「生」の在り方そのものを強烈に見せつけられた。そして、その出口としてラストのあの一言がある。
『千年女優』は映画体験それ自体をモチーフとした映画であり、さまざまなエピソードの境界線を曖昧にすることで、観る者の人生と映画との境界線すら曖昧にしてしまい、体験に引きずり込む、そういうとてつもない映画だったのだ。
先日、四十五になった。それなりに波乱万丈な人生を、あれこれ考えながら生きてきたつもりではあるが、藤原千代子のようなまっすぐさがあったかというと、そうでもない。だが、千代子の「生」の漲りに、椿の花が最後ぼとりと花ごと落ちるようなダイナミックなそれに、何かが浄化されていくという感覚がたしかにあった。
そしてたぶん、それはあの頃の私には得られなかった浄化だった。もちろん、あの頃の体験がビデオテープで、今回は大スクリーンで観たという違いはかなり大きいとは思うけれども、それだけではない。きっとあの頃の斜に構えた自分は、芸術作品の細部の技法にばかり目を向けて肝心の作品から「自分の体を空にして何かを受け取る」という作業が疎かになっていたのではないだろうか。
時代は変わってサブスクで何でも気軽に観ることのできる世の中になった。観ようと思えば、一日中好きな映画を観て過ごすことだって全然できる。あの頃には、年に一度もそんな日ができたら最高だ、と思っていたような贅沢を、指の操作一つでできてしまう。
けれど、今回の上映会で、映画を鑑賞するとは、あるいは、芸術を体験するとは、やっぱりそんな生易しいものではないんだよなと再認識した。単に映画館で観ればそれでいいかというと、そうでもない。さまざまな状況が整って、その作品世界に、身体を空にして引きずり込まれるような、そんな瞬間が訪れないかぎり、作品のほうも何かを語りかけたりはしてくれないのではないか。
高松の小さな映画館、ソレイユで起こった、ある一夜の奇跡。私はその目撃者の一人であったことがとても嬉しく誇らしい。そんなことを思いながら、このレポートの筆をとった。さあ、遅れに遅れていた原稿も片づけた。生まれ変わって明日を迎えよう。
映画館から一歩、外に出る。それは、大げさに言えば、また新たな現実を歩きはじめるということでもあるのかもしれない。
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