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子供を叱るとき、「聞く」をやめる

どうしてこんな事したの?
今どんな気持ちなの?「怖い?」「面倒臭い?」「悲しい?」

優しかった母に子供の頃そう聞かれて私は何も答えることができなかった。心に溜まった複雑な鬱憤を言葉にするなんて不可能だ。

親が喧嘩を始めたとき、小学1年生の私は麦茶の入ったプラスチックカップをリビングに投げた。
それを見た幼い妹は泣き父は驚くより前に妹をあやし、母は困惑し私に質問を投げかけた。親が離婚する数年前の話だ。

この記憶は今でも鮮明に脳裏にこびりついて離れない。風景も感情も。
今だと思い返せば正しく言語化できる自信がある。
「子供の前で一番身近な大人の存在である親としてパートナーと不仲なのを子供に見せつけるとは何事だ。しかも空気が悪い中で食事など取りたくない。こんな経験をこれ以上心に残さないでくれないか、大人を信用できなくなる。」

当時私はこれを言葉で説明できなかった。
当然である。今書き起こしたこれだけの感情や鬱憤を子供が言葉で説明できるわけがないのだ。
言葉にできない。だから行動を起こした。
だがその時母は私に「説明を求めた」

このエピソードを思い出したのはこの動画がきっかけだ。

ゆる言語学ラジオさんの
「視覚思考者」を解説した動画である。
視覚思考者とは物事を言語に頼らず絵や図形といったイメージを先行させて考える能力を持った人間だ。
また反対に視覚思考者は言葉を組み立てるルールの中で表現をする事を苦手とし、ルールに縛られないアートで自己表現することを得意としている。

この動画では例として「誰しも子供の頃は絵を描くが、言語を習得する過程で筆を置く。」
とあるが当に言語化とは言語思考型の人間が習熟過程で会得できる贅沢であると気付かされ衝撃を受けた。

私が言語型思考に切り替わったのは中学を卒業してからである。
高校に入学してから時代はTwitterの流行もあり、SNSで不特定多数の人と交流するうえで必須の言語スキルはインターネットと読書を通して、また同時に始めた小売業アルバイトの接客で磨かれていった。

そして私は物心ついた頃から趣味であった絵画や製作の一切を捨てた。
表現が実体から文字に完全に成り代わったのだ。

そんな私だが、視覚思考者の気持ちもよく分かる。実際、中学生頃まで頭の中はイメージや図形で埋まっており完全に視覚思考型で、脳にCADが入っているのが最大のアイデンティティだった。
そして言語化とは決められたプログラムの中でしかできない表現でナンセンスだとさえ思っていた

将来は工業系まっしぐらだと自他共に思っていた私だが、頭の中でプログラムが書き換わったのは高校に入学してからだ。
脳がリセットされたきっかけは紛れもなく親の離婚だ。

親の離婚後、私は母の下で育った。
今も話せば気がつくが母は生粋の言語思考者だ。
そして父は視覚思考者である。
言葉の一つ一つにこだわる母と、物事を多角的に捉えようとする父が一度対立すると終わらない喧嘩が勃発するのは当然かもしれない。
そう考えればこんなに面白い構図は今となっては笑い話である。
私は、犠牲のもとに双方の才能を与えてくれた父と母、そしてそれに気づかせてくれたゆる言語学ラジオのお二人に感謝している。

将来子供ができたときには言語を超えた視点で子供とコミニュケーションを取りたいものである。



えっ?結婚の予定?

こんなひねくれ者に彼女がいるわけねーだろ!!!!!







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