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「受け身」としての不真面目と承認欲求

先日のJJF教室感想の記事でちらっと触れた、カルティエクラッシュの2面性というコンセプトに共感した件。

クラッシュそのものもいつか何かは手に入れるだろう、ぐらいには思っているけど、それが半世紀記念買いになるかどうかはまだ分からない。正直なところ、迷っている中のひとつには入ってる。

2面性、といっても表と裏の顔ほどに何かを抱え込んでいるほどヘビーではない、でも様々な場面で違う顔を使い分けてるといえばそうだし、そもそもそれを見える形でぶら下げて歩きたいのかな。
デザインは好きだけれども。

再掲になるが、この真面目か型破りか、という問いについて誰かが型破りの部分を「不真面目」と投稿していたのがすごくしっくり来るなと思ったのが、興味を持ち始めたきっかけ。

型破りまで振り切ってるとは思わないけども。

以下、書き始めたらパンドラの箱開けたかもと思い始めたのと、多少は誰でもそう & 読む人によっては不快に思われるかもしれませんので、心配な方はそっ閉じでお願いします。

自分が型破りなタイプとは思わないが、兎に角、人が押し付けてくる『型』から逃げ続けてきた。
型を破って人からスゴイと思われる人生では全くなくても、小物ながらに自分で決める人生を守りたかったのかもしれない。

先日、試着に行くとお店のスタッフさんに『柔らかい感じ』とよく言われるとポストした。それは全く否定しないし、オフの時間はゆるゆるしていたいので、言われて嫌とは思わない。どちらかといえば、そう見られるようになってほっとしている。

でも、そこに至るまでにまあまあ色々あった、今は普段スンッとしてることが多いから、たまに口を開くとネタの宝庫ですか⁈とのけぞられる位には。

親の問題以外殆ど消化済み案件なので、ほぼ笑い話でしかないが、『柔らかい』感じが、若いころは何言っても構わない、扱いやすそうな奴と見られていたんだろうなと今になって思う。

実家にいたときは、主に母と親戚筋。親の敷くレールを走らない子供は一律、親不孝者。長子は墓の管理人、ヤングケアラー。異を唱えたら発狂されて会話不成立。

自分で産んだのに、私の人間性に関心ないんだね?と言ったら悲しんだり叱ったりするどころか、ウッと言ってうろたえ始める母。本当に関心なかったんかいとブーメランでショックを受ける。

あなた幼稚園の頃、大根足って言われてたって知ってる?という話題を高校大学になっても会うたびに、どんな短い会話でも、壊れたテープレコーダーの如くぶっこんでくる、私と似た体型の同級生。

会話を全て私の発言に対する否定に誘導してくる、どうも好かれていたらしい高校の同級生男子。同じ大学学科まで受けてて、彼は合格、私は不合格。一緒の大学通いたかったと卒業式後の打ち上げで泣かれた。泣かれても困るのだが。。後々考えると、わざわざ同じ学科選んで追いかけてきたのだろうかと思い当たり寒気が。

今となってみれば完全にモラハラDV気質だった、昔の彼氏数名。

キツイ顔だな、女はニコニコしてりゃいいんだよ、と酔って絡んだ挙句、どうだショックだったでしょうとドヤる、取引先の男性(ショック通り越して呆れたのだが以下略)。

私に対して卑猥な妄想をしていると酔って延々と告白してくる、同じ部署の父親ぐらいの年齢の男性。説教くらってると勘違いした直属の上司は遠巻きに見てるだけで助けてくれず。

アウトドアのツアーにおひとり様参加したら、同じくおひとり様の女性に丸一日、◯丸構文のトークでディスられ、ずっとついてこられる。

相手を追い詰め服従させ搾取することが主目的のパワハラ上司による恫喝、洗脳、言いがかり。そのほか同僚からのコンプライアンス的にアウトな言動の数々。書き始めてみたが、ネットに上げるのはまずい内容になったので止めておく。

初対面の場でも、正直どちらでもいいのだが・・と思うことで議論に巻き込まれたこと数知れず。お題はその時々で、とうもろこしの正しいゆで方だったり、ペットボトルの正しい選び方だったり、年下の夫(うちは2こ下)の是非についてだったり、好き嫌いが良い悪いの話に書き換わっていたり、架空の私の人物像クイズ(お前はどうせこんな人間だろう、と唐突に絡んでくる)だったりした。

どの人も、思惑と違う答えが返ってくると、期待が外れた、ひどい奴だ、お前がおかしいともれなく興奮したり怒りを露わにしたり被害者ぶったり蔑んだりしてくる。社会的に地位が高くても、一定割合そのような人がいる。自他境界線が曖昧なまま大人になったんだろうなと今ならわかるが・・

そして、私自身、そのような人々ともうまく付き合わなければならない、認められたい、気を悪くさせてはいけないという思い込みと謎の責任感で生きており、双方の思惑が良からぬ形でマッチしていたのかもしれない、と振り返ってみて思う。気分を損ねることがあれば、罪悪感に苛まれて自滅していたのだが、そこまでする必要ない場面も多かったのではと。トークのキレがちょっと鈍いこともまた、言葉尻をすくわれる原因だったかもしれない。

そのような対人関係のそもそものスタートが親だったので、抜け出すのに時間がかかってしまったが、色々あるけど、全て正面から対応していたら自分の精神が持たない、持たせる必要もないなとある時点で吹っ切れた。

別に強い態度に出る必要もない、リスペクトをもって接してこない相手に自分の正しさを証明する必要もない、ただ心は強くあろうと。よからぬ雰囲気を察知したら、逃げられるときは秒で消える、刺し違えざるを得ないなら無用な争いはせず一撃で倒す、職場ならあまりにひどければ通報する、自己開示の程度は相手によってよく考える。

タイトルの「受け身」、受動的ではなく、武道などの護身のための受け身として入れた。真面目に取り合わなくていいことに対する不真面目、事故回避のための受け身。たとえぶっ飛ばされようとも、常に着地点を見失わないこと。

そんな決意を密かにしてみたところ、最初の頃こそ色々言われたが、そのうちきちんと接してくれる人以外との接点が減り、よくしてくれる人達に好意を返せる余裕が生まれた。よからぬことは起こらず、思いの外平和な世界線で拍子抜けした。

承認欲求について伏線回収がまだだったが、誰にでもいい人であろうとしてた時は承認欲求肥大してたかもと思う。その後、不真面目でもいいと決意した時に、その辺りは気にしなくなった。

何というか、自分の受け入れキャパはこれだけ、と自覚した時に、相手の受け入れキャパも考えるようにコミュニケーションすればまあトラブルにならずに生きていけるんじゃないかな、と至極当たり前の結論に腹落ちした感がある。

だからというわけでもないが、高額品買う時夫に宣言はするものの、幾らしたと言ったことはありません笑笑 自分の稼ぎだし生活費食い潰してるわけじゃないので。

ここで雑にクラッシュの話に戻るが、、この不真面目さのアイコンとしてぶら下げて歩きたいのか否か。結論はまだ先になりそう。




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