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なんとなく盛り上がったので。

 2月は寒いですね。今月も自粛続きで俯きそうになるし、コーヒーマシーン故障したり、大阪の食べ歩きキャンセルしたり、財布には厳しいと月なりましたが、下を向いて拾うのは小銭だけ、前を向いて掴むはビックチャンスと思い前向きにいくよー!!!

 さてさて今回はと言うと今後このnoteをどう活用していこうかと思い、コンセプトを考えました。ご来店の際に僕の小話はちょっと受けが良いので①自伝的な話☜(いつか子供達にも読んで欲しいのでやろうと思いました。需要は少ないと思ういますがとりあえず)②レストラン、ワイン、美味しい物☜(これは日記と皆様の美味しい時間にヒントになればと思ってます。)
 そんで今回は自伝1話目にしてみます。よろしくお願いします。

プロローグ

 僕は北陸の富山県に生まれました。家の目の前には立山連峰と製薬工場、見渡す限りの水田。兼業農家の次男坊で戦争経験のあるおじいちゃんもおばあちゃんも一緒に住んでいるよくある田舎の家庭です。記憶があるのは多分5才位からだと思います。
 幼稚園?保育所?まあよくわかんないですが何故か近所の子供達とは違う童館と言う所に通っていました。同い年の男の子は一人しかいなくて、俗に言う幼馴染です。(彼は今は名古屋の商社でバリバリ働いています)僕は体は小さくて、目立ちたいけど恥ずかしいみたいな、多分何処にでもいる子供だったと思います。なんだろうTVばかり見るとバカになると教育されたので比較的表で遊ぶことが多かったように思えます。
 兄がいたので何か特に変わった事もなく小学校に入学するイメージありました。でもビックリ幼馴染とは別の小学校に入学するのです。知り合いも一人もいない小学校1〜2年生の時のことはあんまり覚えていませんが、多分適当に馴染んでいたのかも知れませんませ。3年生になって初めて子供の僕に衝撃的な事が起こりました。
 幼馴染のお父さんの『死』です。
 なんて言うんだろう家族ぐるみの付き合いをしていたので、滅多に家に居ない自分の父よりよく遊んでくれて、家の父は怒ってばかりで怖い「パパ」彼のお父さんはいつも笑ってくれる「おとうちゃん」という感じでした。
 夜8時すぎ、そろそろ眠くなって二階の寝室にいると珍しく電話が鳴りました。父は仕事でいません。古いタイプの父は「夜8時を過ぎて電話なんて迷惑だからするもんじゃ無い」とよく母をどやしていたので、基本8時以降電話が鳴ることはほとんど無い家なので
「あれっ 電話鳴った 変だな?」
位に思っていると、誰かが階段を上がって来ました。襖が開いて母が泣いています。母が泣いているのを見たのも初めてでした。
「○○ちゃんのお父さんが交通事故で今死んじゃった」
言っている意味がわかりません。交通事故はわかりました。でもそんなことはTVや新聞の事で自分には関係のない事と思っていたし、好きな人がいなくなるのって分かりませんでした。
「なんでかあさん泣いてるの?」
と聞いた覚えがあります。母は嗚咽で言葉にならず、屈んでいた体がぐしゃりと砕け、畳に座り込んでいこんいたと思います。
 それからお葬式?お通夜?までほとんど覚えていません。唯一覚えているのは、その後帰宅した父の苦虫を潰した様な顔です。
 多分焼香をあげた時も訳が分からずふわふわしていたと思います。
 
 続く
 
 次回 少年時代

 

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