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絶対、美人になる。

 私は綺麗事が嫌いである。「君はひとりじゃない」「君はそのままでいい」などなど、当事者意識をまるきり無視した言葉が世の中には多く存在する。これらの言葉は、家族や友人といった人間関係や、環境に恵まれた者だけが口にできる戯言である。

 その中でも特に私が違和感を覚えるのが、「人間は見た目じゃない」である。

 率直に言って、人間は見た目である。人は第一印象から、優しそう、危なそう、賢そうなど、相手に対する何かしらの判断をしている。もし、付き合ううえで害がないようであれば接近するし、そうでなければ忌避する。

 この「見た目」が、「第一印象」に限っての話であれば、人間、苦労はしない。自らの力で変えることができる。良い人に見られたければ、きちっとした服に着替え、背筋を伸ばし、にこやかに応対すればよい。反対に、悪い人に見られたいのであれば、粗雑な振る舞いや乱暴な口調を心がければよいのだ。

 ところが、厄介かつ不条理であるのは、こうした「見た目」に「容姿」の問題が含蓄していることである。「美人」「男前」「綺麗」「汚い」「不細工」……こうした「容姿」もまた、「第一印象」の一環なのである。

 人間は綺麗なものが好きである。綺麗なものには近づきたいし、自分のものにしたい。反対に、汚いものには触りたくなく、目にしたくもないし、避けたいものである。それは、人間の場合も同じである。美形な相手とは親しくなりたいし、容姿的に汚い相手とは距離を置きたい。

 私は先に、当事者意識を無視した綺麗事が嫌いだと述べた。なぜ「人間は見た目じゃない」が、そのような一方的な見方に包含されるのか、それは、「第一印象」よりも「容姿」という意味での「見た目」が、人間の、特に女性の、性格や行動、人間関係、人生までにも影響を与えるためである。

 私は学生時代、容姿が原因で、学校で長い間虐めを受けた。殴られるとか、物を盗られるとか、特別なことはされず(触れるのも関わるのも嫌だったのだろう)、ただただ通りすがるたびに悪口を言われた。悪口の内訳は、大半が「きもい」、そして「不細工」である。

 容姿が元で得をした、損をしたという話は、巷にごまんとある。女性の場合の容姿問題は特に深刻で、学生時代、就職、恋愛、結婚においてもついてまわり、はては人生までも左右する。企業には「顔採用」なるものが存在すると聞くし、交際するならもちろん美人がよい。

 男性なら、顔が不細工でも、性格や知能、特技、学歴等で補えることは可能かもしれない。だが、女性は何よりも見た目の美しさが大切である。いくら「女性は愛嬌だ」「性格だ」と言ったところで、それこそ容姿に「恵まれた」者の綺麗事、戯言なのである。

 だからこそ私は、綺麗になりたい。容姿に長年悩まされてきた私は、ここでこそ、美人を目指し、人生を変えたいと切に願う。よく女性の一生は花に例えられる。芽から蕾、満開から枯れかけ、そして散るまで。努力したところで、美しさは女性として枯れるまでの、わずかな時間にしかないものかもしれない。しかし、それでも、私はその時間に賭けてみたいと思う。女性として美しく咲き、見える世界を変えてみたい。

#なりたい自分

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