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我が家の愛犬について

 愛犬が我が家に来たのは10年前。ペットショップの小さな子犬がいるはずのケースに、大きくなり過ぎた(愛)犬がもはや狭すぎるその場所に所在無さげに立っていた。店員が「このコはとってもお利口ですよ。」と何度も私たち家族に話し掛ける。私たちにとってこの日、3軒目のお見合いだった。下の子がもうすぐ二歳になる前だった。子どもに噛みつかない、仲良くなれる穏やかな性格は、狭すぎるケースから出され初めて抱っこをした時に伝わった。誰からも(買)飼われず、1年以上の間、店でまだ見ぬ家族を待つ姿は半ば諦めた様な憂いのある佇まいだった。その姿が私の胸を締め付けた。あれから10年が経った。愛犬と10年過ごしてきたから解ったことだが、あの初対面の頃の愛犬はストレスfullな状態だったに違いない。確かに愛犬は出逢った時からずっとお利口である。特に私にはそうである。しかしながら、やはり他人や他犬に吠えてしまうことがある。今はあの初対面の頃の憂いた姿は見る影も無い。だからこそ、あのショーケースに寝転ぶでもなく立ち尽くしていた姿が今でも忘れられない。

愛犬は10歳。人ならば56歳。私を大股ぎで越えてしまった。それでも童顔なので、56歳には見えない美魔犬。平均寿命を調べると、最期の別れにはまだ時間はある。長生きの秘訣は食による健康に違いないと、好き嫌いのある犬種なのも相まって飼い始めた頃から変わらない銘柄のごはんをあげている。毎年の予防接種は、慣れずに怖いらしく診察台の上で小さく震えながらシュンとして切ない瞳で私に助けを求めて見つめてくる。こんな時、改めて愛犬からの信頼を感じられ愛おしさが増す。当然のことながら可愛いコには旅をさせよではなく、予防接種をである。

ここまで何の変哲もない我が家の愛犬の話を読んでくださって、ありがとうございます。最後に世間様に伝えておいた方が良いかもしれない一件がある。我が家の愛犬は、飼い主の只ならぬ事情があり一度改名した。本人いえ、本犬は理解している。ちゃんと、呼ばれたらこちらを向く。愛犬にとって聞こえは同じだからだ。しかし、人間の耳では明らかに違う。なので、毎年愛犬が予防接種をする診察台で励ます時に”役所に届け出たお名前”とは異なる我が家での呼び名で呼ぶ。その際、何とも言えない空気が診察室に一瞬漂う。この場を借りて言いたい。どこにも届かないかもしれないが声を大にして言いたい。このコは我が家の愛犬で、誘拐してきたコではない。それを証明するには私と愛犬の一緒にいる様子を実際に拝見して頂く他無いかもしれない。


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ん…さて、ここからが本ブログの大本命です。やっと、新作を出しました。山々や谷多々ありまして、だいぶ、間隔が空きました。配信作品について言い訳も沢山ございます。でも呑み込みます。下半期に足を掛ける前に出せて良かったです。涙。

夏ですね。蟬鳴いていますね。嫌いじゃないです。夏バテせぬよう、食べることを真面目に頑張ります。良い下半期は必ず来る!じっちゃんの名にかけて!!(↓少年探偵ものです。)


お時間、お耳がよろしい時に是非、お聞きください。そして、フォローを何卒、よろしくお願い致します。

『自殺か他殺か』 小酒井不木 著

※ 今回、ioの音声配信においては、作品をnoteの容量制限内に収めるために【前編】・【後編】で分けました。原作はひとつの作品として発表されております。どうぞ、ご了承下さいますよう、よろしくお願いいたします。


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