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電動アシスト付きnote

 昨夜は久しぶりにツイキャスで配信をしてみた。普段は20年近いリアルの友人がツイキャスを頻繁にやっているのと、among usの実況配信を見ている。時間は20時くらいから24時くらいまで。ラジオ感覚で家事をしたり編み物をしながら配信を見ている。

 昨日はたまたま友人の配信がなかったので、自分で配信をしてみることにした。内容は編み物をしながらひたすら雑談をするツイキャス配信である。キャンドゥで買ったスマホスタンドにスマホを取り付け、机を見下ろすような構図で固定する。この時、編み物をするのに邪魔になる位置に固定してはいけない。少し高めの位置にセットする。次に、昔使っていたスマホで著作権フリーのBGMを流す。無音は味気ないという理由もあるし、生活音を消す意図もある。部屋は散らかったままだ。A1サイズ(A4プリント×8枚)程度の机が片付いていればよい。いや、よくはない。反省している。

 実は、私がnoteを始めたきっかけは、実はツイキャスで雑談配信を行ってみたことだ。私は普段人生について世界についてわが家の家計について明日の夕食についてうだうだと悩みはするけれど、それを文字にしたり言語化することはほとんど行っていない。言語にすることでその感情が枠にはまってしまうような感触があったからだ。私のこの感情を「悲しい」という言葉で済ませたくない、この感情のまま名付けずに持っていたい、という気持ちがあったからに思う。

 前回ツイキャスでは離婚に関する話を少ししてみた。聞いてくださっていたのはいつもツイッターでお世話になっているようないわゆる「いつメン」の皆様である。とはいっても彼らとはほんの1、2年程度の付き合いで、私のズタボロの状況を知っているわけではない。こんな方々に自分のことをぽつぽつと話すことで、あれもしかして言語化するのも悪くないのかも?という気持ちになったのだ。

 その勢いのまま、昔のこと、今考えていることジャンルも何もかもバラバラのまま綴り始めたのがこのnoteである。あの時のツイキャスをやっていなかったらこのnoteは生まれていなかっただろう。あれから記事はまさかの50編越え。

 30編、約1カ月毎日文章を書いた辺りから、なんとなく文章を書くことに心境の変化が起きている。私はなにかこうどうをするのにかかる労力配分、時間配分としては「えいやっ」と身体を起き上がらせることが9割、動き始めてからは1割だった。自転車をこぎ始めるとき、最初のひと漕ぎが一番力が必要だけど動き出してしまえばすいすいと進んでいくあの感触に似ている。何事に対しても最初のひと漕ぎにすごく労力がかかってしまうのが私の性質である。

 最近、近所にシェアバイクの自転車置き場ができた。距離は近いけれど道のりは遠い、公共交通機関で移動しにくい場所へ行くときにシェアバイクを借りる。私の街のシェアバイクは電動アシスト付きで、最初のひと漕ぎの負担がない。スタートダッシュを決める人の気持ちがよくわかる。

 noteを毎日書くようになって、文章力が付いたとはあまり思っていないが、最初のひと漕ぎをする筋力が付いたように感じる。説明がめんどくさい問い合わせメールの返信や、定型文で書くのが難しい文章にぶち当たったときの1行目を書き始める時間が明らかに短くなったのだ。これは仕事が早くなったといっていいだろう。仕事の文章とnoteの文章は全然違うジャンルにもかかわらず、だ。

 今までずっと避けてきた文章でのアウトプットをして,明らかに自分が変わったと感じる。たまにはいつもと違う形でインプットアウトプットしてみることもいいのかもしれない。

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