見出し画像

メソポタミア神話 *

 ハーデースのこと調べてたら、妻、ペロセポネーの母豊穣の神デーメーテルは、アテネでは、エレウシスの密儀という3大祭りのひとつで祀られている神様であることにたどり着きました。この儀式は紀元前15世紀のミュケナイ期から古代ローマまで約2000年間にわたって伝わり、古代ギリシアの密儀宗教としては最大の尊崇を集めたということです。
 もとをたどると古い農耕信仰につながっていて、古代オリエントにその原型を見ることができるということでした。
 このころの最も古い神話がメソポタミア神話で、ここに世界の神話の原型を見ることができます。メソポタミア神話を残したのが最も古い文字を使ったシュメール人であることがわかりました。
 ギリシア神話の時代との関係が気になったので、メソポタミアの歴史について読んでみました。

ギョベックリ・テぺ 紀元前1万1400年ー前8000年

新石器時代の紀元前1万1400年に作られ、紀元前8000年頃には放棄された世界最古の宗教遺跡

ギョベックリ・テぺ

ハラフ文化 紀元前6,000年~紀元前5,400年頃

 先史時代紀元前6,000年~紀元前5,400年頃に北東シリアのテル・ハラフを中心に北メソポタミア、シリア、アナトリア、現トルコとシリアの国境周辺の「肥沃な三日月地帯」北部で始まり広がった新石器時代の文化
幾何学模様や動物模様が描かれ釉薬が塗られた陶器が発祥した場所で、ここから北メソポタミアの文明の始まったと考えられている。
「テル・ハラフ」:紀元前6千年からの歴史ある遺跡。
後世、ヒッタイト帝国の支配下に入り、紀元前10世紀にはアラム人の都市国家グザナもここにできました。

テルハラフ

紀元前5,000年頃にウバイド文化へ継承され消滅しました。

ウバイド文化 紀元前5900年~4300年頃

紀元前5900年~4300年頃にテル・エル・ウバイド遺跡で見られる、新石器時代の南メソポタミアでの最古の文化です。この文化は段々と南から中部、北部へと広がり、途中ハラフ文化をも継承しました。
北のトロス山脈やザグロス山脈からやって来た人たちがこの地で集落を作ったと言われています。

ウバイド文化は、紀元前4000年ごろにウルク文化へと引き継がれ、紀元前3800年頃の急な気候変化の乾燥化により、終焉しています。

ウルク文化(シュメール人) 紀元前4000~2400年頃

紀元前4000~3100年頃に、ミソポタミア最南部ユーフラテス河畔の東側にできたシュメール人の都市ウルクから広まった文明で、約1000年も続きました。
農業の発展により、人口が増加し、支配階級が現れたことで集落から都市国家が生まれました。ウルクはその代表的で最古の都市で、ここからメソポタミアでは文化が一気に開花していきました。

歴史上初めて「ウルク古拙文字」と言われる、絵文字であり後の楔形文字の原型である世界最古の文字が誕生しました。それと共に粘土板も使われるようになりました。

ウルク文化で花開いたシュメールは、大洪水の後にキシュ、ウル、ウルク、ラガシュなどの都市で新興シュメール都市国家が成立し、王朝時代が築かれました。
シュメール人は謎の民族で出自が解っていない世界最古の民族の一つです。中央アジア方面から移住したモンゴロイド系と言う説もあります。
宇宙や地上の自然の力に神々を見出だし擬人化した多神教。
天空神で最高神であるアンを崇拝。

シュメールは文字、言語、医学、天文学、数学、宗教、占術、呪い、魔術、神話などの分野を始めて産みだしたことで有名です。 “創造”と“大洪水”に関しても初めてシュメール文化でみることができます。
紀元前3000年頃には、都市や町が35程あり、その内キシュ、ニップル、ザバラム、ウンマ、ラガシュ、ウルク、ウルなど18の大都市があったと言います。
大きな都市は通常城壁が巡らされており、それぞれの都市に独自の神が存在し、最低一つの高い神殿ジッグラトがありました。

シュメール末期にはシュメール人の主神がアヌからエンリルに代わっており、エンリルの神殿がニップルにあったことから、ニップルがシュメール人の宗教においての首都と見なされています。

紀元前2400~2350年の間、シュメール人は衰退し、アッカド人が増加しました。そして、サルゴン王が率いるアッカド王国に征服されてしまいます。

シュメール文明発祥のあれこれ

  • 60進法・・・楔形文字には 1 から 59 に対応する数字がありました。

  • 天文学・・・月30日、年360日とする太陰暦を使っていました。

  • 7曜制・・・月の満ち欠けの7日ごとの変化から1週という単位が生み出されました。

  • 青銅器

  • ビール・・・紀元前3000年頃の最古の記録「モニュマン・ブリュー」にて製法が記載

  • 法典・・・表記されたものとして最古。シュメールは最古の法治国家と言えます。

  • 王名表

“シュメール王名表” 初めて代々の王朝の王が記されたもの。

実在の王の他に、神話的要素も含まれていました。たとえば、洪水の前に住んでいた地域には8人の伝説的な支配者(=都市)がいたと言う事ですが、在位数万年と在位期間が異常に長く、神話上の王であることがわかります。

そして、洪水後の最初のシュメール王朝はキッシュ、ウルク、ウル。ギルガメシュ叙事詩の“英雄ギルガメシュ”もウルク王朝の王の一人と言われています。

考古学上確認された最古の王は、紀元前2800年頃在位したキシュ王「エンメバラゲシ」とのことです。

アッカド王国 紀元前2334年~紀元前2154年

 紀元前2334年~紀元前2154年
アッカド人(セム系民族)は、南メソポタミアのシュメールが栄えた地域より少し北の地に紀元前2500年頃移住し、シュメール文化を取り入れながら力をつけ、シュメールの後に180年間メソポタミアの主権を握り、領域国家を作り上げました。
アッカド語。世界最古のセム語であり、シュメール語から続く楔形文字を使用していました。話し言葉のシュメール語は徐々にアッカド語に置き換わり、アッカド語は以降の古代オリエントの国際共通語になります。

公的文書ではアッカド語がつかわれ、口語的な文学や科学などでは1世紀までシュメール語が使われ続けました。

アッカド (ユーフラテス川とチグリス川が最も近くなっている場所。正確な位置は不明)

シュメールのキシュ第4王朝のウル・ザババ王の笏持ちであったサルゴンが王となり、シュメールを征服し、南メソポタミアを掌握してアッカド王国を作ります。北はトロス山脈、西は地中海沿岸及びキプロス、南はペルシャ湾まで領土を広げ、史上初めて中央集権的な国家を築きました。

サルゴンの後、二人の息子たちが順に王位に着きました。その後孫のナラム・シンが第3代目の王となり、南のシュメールへ、東のエラムへ、北のアナトリアへ遠征を行ないました。

ナラム・シンの息子のシャル・カリ・シャッリが王になった頃には、周辺民族の反乱に遭い、最終的には北のザグロス山脈から侵略してきたグティ人により、紀元前2154年にアッカド王国は滅亡してしまいました。

ウル第3王朝(シュメールが再興)紀元前2060年頃

アッカドをグティ人が約125年間支配し無政府状態となります。
紀元前2060年頃にウル王ウル・ナンムにより再度シュメールが再興され、ウル第3王朝を築き、ウル・ナンム王以下5代に渡り100年ほど最も栄えた時代が築かれました。

ウル・ナンム法典:ウル・ナンム王と息子で2代目王シュルギの治世である紀元前2115~紀元前1050年頃に作られた法典。

ギルガメシュ物語』は紀元前2000年ごろの成立したといわれるバビロニアの叙事詩で世界最古の文学作品である。ギリシアの『オデュッセイア』に比せられる。
主人公ギルガメシュは、シュメール、バビロニアなどの古代オリエント諸民族のもとで知られていた伝説的英雄で、時代を隔てた別々の物語を1人の人物ギルガメシュに統一したものである。
シュメールの資料によれば、ウル第1王朝第5代の王である。
前7世紀のニネベのアッシュール・バニパル王宮書庫から出土した全12章の粘土書板として残されている。

紀元前2004年頃に東からエラム人が侵攻して最後の王イビ・シン王をエラムに連れ去ったことにより、この王朝は滅亡。これと共にシュメールは消滅しました。

古・中期バビロニア紀元前2004~紀元前625年

は現バクダッドからペルシャ湾までの南メソポタミア(シュメールとアッカドの土地)を支配したアムル人の王国です。首都;バビロン
アムル人。シリア方面の遊牧民で、ウル第3王朝末期頃に南メソポタミアに移住してきた民族。

古バビロニア時代…紀元前2004~紀元前1595年
 前期が紀元前2004~1750年頃の群雄割拠の「イシン・ラルサ時代」
 後期が紀元前1750~1595年のハンムラビが統一した「バビロン統一王朝時代」

中期バビロニア時代…紀元前1595~紀元前625年

紀元前1595年にヒッタイトにより古バビロニアが滅ぼされた後、
紀元前1500年頃にカッシート人がバビロンを占領してバビロニア全域を支配、バビロン第3王朝とも言われるカッシート朝バビロニアを建国します。

バビロニア

北部のアッシリアはフリル人のミタンニ王国に従属させられていた状態でした。1400年代にはバビロニア、ヒッタイト、ミタンニ、アッシリア、新エジプト王国がオリエントの覇権を掛けて争っていました。ミタンニが滅亡すると、アッシリアが勢力を盛り返します。
紀元前1155年にエラム人によりバビロンが攻略されカッシート朝バビロニアも滅亡します。
エラム人はバビロンからハンムラビ法典をスーサ(現イラン)へ持ち去ったため、ハンムラビ法典はスーサの遺跡から出土している。

バビロニアは紀元前625年までアッシリア帝国の領土となり、その支配下の中でアッシリア王達がバビロンの王に即位したり、反乱や短期独立したりが繰り返されました。

アッシリア帝国 紀元前671年~前609年

アッシリアは、紀元前3000年頃から北メソポタミアのアッシュル付近で興った民族集団で、その後都市国家を作り諸国家の影響下にありながらも、国際遠距離貿易に力を入れながら独自に存在感を見せた小国でした。

興亡の激しいオリエント世界で国家体制を維持しながら勢力を増したアッシリアは、紀元前800年代に遂には世界で最初にオリエントを統一し、大帝国を成し遂げました。

古アッシリア時代
 アッシリアは肥沃な三日月地帯の中央部にあり、メソポタミアとアナトリア半島、シリア、イラン高原といったオリエント各地を結ぶ交易の中継地であったため、アッシリア商人は各地にカルムと言う商人居留地を設置して、国際貿易網を築き、富を得ます。

 アッシリア商人のおかげで、アナトリアに文字がもたらされ、地方支配者の都市が発展して人口増加するようになりました。高度な商業が確立されており、カニシュからはこのアッシリア商人居留地時代の商業契約や記録の粘土板タブレットが数多く見つかっています。

 アッシリアは、シャムシ・アダド1世の治世紀元前1813~1781年には、北メソポタミア一体を征服してオリエント最大の国になり、南のバビロニアのハンムラビ王もこの治世はアッシリアに従臣していました。

 その後、バビロン第1王朝の覇権下に入ったり、紀元前1450~1393年にはミタンニ王国に従属しますが、エリバ・アダド1世がミタンニを破り独立国家となったことで古アッシリア時代が終わります。

中期アッシリア
 独立を取り戻したアッシリアは、ユーフラテス川まで領土を広げ、その後徐々にソポタミア、アナトリアの南東、シリアの北方で大きな権力を獲得し、バビロニアをも征服しました。
 アッシリアは、紀元前7世紀後半に北西の領土をアナトリアの一国フィリギアのミダス王に侵略されてしまいました。

新アッシリア時代
 紀元前9世紀にアッシリアの王たちは領土を再度広げ始めました。紀元前8世紀中半から紀元前7世紀末にかけてペルシャ湾からエジプトまで広範囲の土地を支配下として獲得し、紀元前671年に全オリエントを史上初めて統一しました。
 紀元前612年に新バビロニアとメディア連合軍の攻撃を受けて首都ニネヴェが陥落、紀元前609年にアッシリアは滅亡しました。

新バビロニア 紀元前626~539年

紀元前626~539年 セム系アラム人、カルデア人
 アッシリア支配下バビロニア南部総督であったカルデア人のナボポラッサルは、紀元前625年に反乱を起こしてバビロニアをアッシリアから独立させて、紀元前626年にバビロニア王に即位します。そして、メディア国と同盟を結び紀元前616年には全バビロニアを支配しました。
 紀元前597年にイスラエルのユダ王国の首都エルサレムを没落し、紀元前586年まで数回にわたりユダヤ人を反乱防止、職人確保、労働力確保を目的としてバビロンに強制連行捕囚します。
 紀元前539年、アケメネス朝ペルシャのキュロス王により、バビロンが無血開城され、新バビロニアは滅亡しました。
 バビロンの空中庭園”は、古代のバビロニアにありました。
 

アケメネス朝ペルシャ 紀元前550~330年

 ペルシャ人が建てた最初の世界帝国です。紀元前550~330年
 紀元前5世紀前期ペルシャはまだメディアの属国で小国でしかありませんでした。キュロス2世は、紀元前559年年にペルシャ第7代目王として即位します。紀元前552年に母方祖父が統治しているメディア王国に反旗を翻してメディアを滅ぼします。西はアナトリアから東はヤクサルテス(シルダリア)川までを支配する大帝国を建国しました。
紀元前330年にマケドニア軍率いるアレクサンドロス大王によりアケメネス朝は滅ぼされてしまいました。

紀元前141年 アルサケス朝パルティアが征服。

230年 ササーン朝ペルシャの領土となる。
634年 アラブ軍の支配下に入り、北はモースルを、南はバグダッドを首都とした二つの州に分かれ、その後バクダッドはイスラム国家の首都となる。その後アッバース朝が支配。
1258年 モンゴル帝国の地方政権イルハン朝の領土となる。
1534年 オスマン帝国のスレイマン大帝が征服。
1920年 第一次世界大戦後にイギリス委任統治領メソポタミアが成立。
1932年 イラクが独立したと共に、メソポタミアのほとんどがイラクの領土となる。

メソポタミア神話
創成物語

オリエント神話

エジプト神話

古代オリエント
 古代エジプト、古代メソポタミア、古代ペルシアなどが含まれており、シュメールが勃興していた紀元前4千年紀から、アレクサンドロス3世(大王)が東方遠征を行なっていた紀元前4世紀頃まで



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?