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已について考える

 今日は動詞について考えるの第二回、五段活用について考えるつもりでした。まずは活用形を提示しようと、未然 連用 終止 連体 仮定 命令を思い浮かべていましたが、そういえば古文では未然 連用 終止 連体 已然 命令といっていたことを思い出しました。

 昨日の気づきもそうですが、学校で教わるときは、細かいことは適当にとばして、拾えるところだけ拾っていました。振り返ってみると、「已然形」もとばしていたものの一つです、どんな意味があるのかについて調べることなく今日を迎えました。

 このシリーズは、ネットで調べたらわかることを、あえて調べずにああでもないこうでもないと考えて、遊んでみましょう。ということになっていますが、今回はそうもいかないので、調べてみたところ、沼にはまってしまったので、五段活用はまた後日考えることにします。

已の読み方

 最初に、「已」という文字、IME(Input Method Editor;入力方法編集プログラム;日本語入力ソフト)の候補には出てこない。いぜんと入力して「已然」を出すのが早くめったに使われない文字であるのだと思います。

「已」は、音読みでは呉音でも漢音でもイ。訓よみでは、「やむ、すでに、のみ」などがあります。文字の意味としては、ひとつめが「やむ」。やめる。已める(5番目にでてきた)止めるみたいな意味かな。やむをえずは、もともと「已むをえず」らしい。不得已2 つめの意味は、すでに。で「已往・已然形」として用いられます。3 つめが「以」と同じような意味で、ある時・所を起点としてそれより。「已下・已降・已来」として用いられます。

已を用いた熟語に已矣哉・已矣乎・已矣が例として記されていました。よみは、やんぬる‐かな、熟語を訓読みしたもので、もともとは、やみ ぬる かな、「やんぬる」は「やみぬる」の変化したもの。文字の意味は、二番目の「矣」もイと読んで、漢文の助字。句の最後につけて断定・推量・詠嘆などを表す文字。哉は サイとよんで、詠嘆・賛嘆を表す助字。三文字の熟語も意味は最初の文字だけにあって、止んでしまった。終わってしまったというような意味のようです。(慨嘆・絶望の辞で、もう今となってはどうにもしかたがない。もうおしまいだ。)

文字の成り立ち

已に似た文字に、巳(み)、己(こ)がありますが、文字の成り立ちについて調べてみました。

その前に「耕」という字がありますが、旁(つくり)は井戸の井ですが、偏が部首にです。未来の未にノがついたようなやつで、すきへん、らいすきっていう部首です。今の鋤・鍬の文字は、どちらも金編です。文字は金属文化が発生する前にあったということでしょうね。

已は、「農作業に使う農具:すき」の象形から、「すき」の意味を表す耜(すきへんに呂(風呂の呂))の文字ができましたが、省略文字として旁だけの呂、それがさらに変化して已になり、「すき」という意味もありましたが、のちに、現在のような意味としてつかわれるようになったようです。

十二支のへびどしの「み」に使われる「巳」は、へびの象形または、胎児の象形とされています。頭と体ができかけた胎児を描いたもので、子宮が胎児をつつむさまを表す「包」の中と同じである。十二支の「」は、植物に種子ができはじめる時期と考えられる。 『漢書 律暦志』では、「止む」の意味の「已」とし、草木の生長が極限に達して次の生命が作られはじめる時期と解釈している。

自己の「己」は「3本の横の平行線を持ち、その両端に糸を巻き、中の横線を支点とする糸巻き」の形を描いた象形文字で、当初は「(糸を巻きつけるように)選り分ける、おさめる」の意味があったと考えられています。 その後に当て字として「おのれ、自分」の意味で使われ始め、「選り分ける、おさめる」の意味では使われなくなっていきました。

このように、形は似ているものの、成り立ちは全く違う3文字ですが、部首は共通の、己「おのれ」です。

己の行書体かと思われる 乙はこの文字自体が部首になっていて、おつ、おつにょう、さらに、つりばり なんて呼ばれてるようです。ここには、九、也、乱、乳なんかがはいってますが、どれも部首を言い当てるのがむずかしそうです。

部首、己「おのれ」に含まれる文字は意外と少ないような多いような。

己 已 巳にくわえて 巻まき・かん 巷ちまた 巽たつみ 巴ともえはまあ知ってるといっていいでしょう

巵はシ さかずきと読んで四升入りの大きな杯などの意味をもつ漢字らしいです。己巻は常用漢字 已巳巴巷巽は人名漢字 巵はどちらにも属していません。これはもっともやさしい、mojinabiサイト、漢字辞典サイトの情報。漢字辞典online には16文字あってたとえば「㠰」はUnicode U+3830で読みは未詳で、意味も書いてありません。さらにWiktionaryには65文字もありましたが、詳しくは見ていませんが、読みや意味のないものがくて、石や紙に書かれていた文字なんじゃないかなあと夢想しています。

已然形って

さて、寄り道が長くなりましたが、

已然とは「すでにそうした」「すでにそうなった」の意味であり、「ば」(~ので)や「ども」をつけることでできる語形で、順接・逆接確定条件を表すかたちということです。

完了形なの?未然形の反対型か、条件という意味では仮定形につながるのだなあ。

ところでで、已然形の説明の中に、「活用形とは学校文法において語形変化後の語形を六つに分類したもの」というものがあり、「学校文法」という衝撃の単語がでてきました。

学校文法

学校文法とは、現代日本の学校教育において、国語教育の際に準拠している文法のことである。学校文法は橋本文法をベースとしている。学校文法について詳細までを議論した大系といったようなものはなく、原典と言える『中等文法』を基とし、学習指導要領をはじめとする告示や検定教科書他各種教科書・参考書・学習用辞書に書かれている内容の総体が「学校文法」というものである、としか言えず、例えば常用漢字や現代仮名遣いのように明確に定義されているものではない。
Common rawみたいなものか?

現代日本語文法は、現代(狭義には近代と区別して戦後)の、母語話者によって使われている日本語の文法である。文語文法に対してと同様、いわゆる四大文法と呼ばれる、山田文法、松下文法、橋本文法、時枝文法の4つが、現代日本語文法において重要な位置を占めてきた。

文法の説明のところにあった表から、古典で習った文法は、文語体の文法、学校文法は、口語体の文法ということがわかりました。古い二段活用が、最近の一段活用に収斂している感じはしていましたが、表によるとちょっと思っていたのと収斂の仕方がことなっていました。このあたりのことは次回以降かんがえてみることにしましょう。


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