隙あれば自分語り

高校時代の部活の同窓会を経たことで、
ようやく心から自分を肯定することができたという話をします。

あの頃は。

あの子は絵がうまくて物語も書けて創作ができる、
知らない世界を知っているし連れていってくれる、
純粋に頭がいい、
何もしなくても顔がかわいくて髪もきれい、
抜けているところも含めて愛される、
校内や他校にもファンがいていわゆる「カリスマ」だった。

私は生徒会長で部活を掛け持ちしていて
そのお陰で知り合いが多くTwitterのフォロワーが4桁いて
異次元の高さのツインテールがトレードマーク。
とにかく側を固めてアイデンティティを作った承認欲求のおばけだった。

周囲からは独特の世界観を持っているだとか唯一無二とか言われていたけど
何よりもほしかったあの子の要素はひとつもなかった。
好きな人はいたけど奥手を極めていたため恋愛もできなかったので
カリスマにもなれなければ誰かに選ばれるような人にもなれなかった。

そのせいで。
本当に特別になりたかった。誰かの憧れになりたかった。
その一心で学生時代は生きていた。

絶対にMBTIも側で作ったカリスマぶって回答したから今とは違うし
本来の自分を知ろうともしなかっただろう。
わたしは擁護者だよ、
サポート職をたんたんとこなすことに幸せを感じるんだよ。
あの頃だったら主役になりたかったよね。主催とかリーダーがよかったもんね。

そんなとにかくモテない、見た目だけいかつい、
劣等感に溢れた卑屈なツインテールの高校時代は
とにかく忙しくはしていたけど
地獄のような日記を書き貯め、裏アカで限界を吐き出す日々だった。

大学でも特別になりたいという思いは引きずったものの、
劣等感の元凶から離れたのと、
部活で自分の特技で人を幸せにすることができた。
さらに今にも続く恋愛をすることができたのでかなり卑屈さが減った。
社会人の今もほぼ同じ自分で生きている。やっぱり特別にはなりたい。
なれている確証があるのが今までとは明らかに違う。

大学入学と同時にLINEのアカウントを変え、
4桁フォロワーを誇りとして大事に大事にしていたTwitterも消した中で
インスタのDMで同窓会の誘いをあの子からもらったときは心底驚いた。
すぐに「絶対行きたい」と返信したものの、
あの頃のマインドを引き戻したらどうしようと不安で仕方なかった。
行きたいと思ったのもあの子の今を見たい怖いもの見たさだった。

当日は自分の現状最高ビジュアルスコアをせめて出そうと美容院に行き、
変わっていないとは絶対に言わせないようにあの頃は着ない系統の服を着て
睫毛もバチバチに上げた。

7年ぶりに再会したあの子は、
きれいなワンピース、きれいな髪型、きれいなメイクをしていた。

なのに。

率直な感想は「特別じゃない」だった。

久々のあの子は
盛れる角度や加工アプリを気にしたり、大成した後輩の話題を出したり、
何も自分と変わらなかった。
実力どうとあれマインドは加工なし派の私の方が上だとも思った。
相変わらず美人だけど、他の友達たちと大差ない。なんだ。

なんだったんだあの高校生活は。なんて狭い世界だったんだ。何が特別だ。
彼女も今は特別になりたかった何かじゃないか。
あの頃は確かに特別だったけど。なんだかかわいく思えてきたよ。
色々教えてくれてありがとう。


今、本当に幸せだ。
これからもそう思える自分でいられるように、現状維持を極めていきたい。


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